10:1-5 ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに息子が生まれた。 ノアとその妻、そして3人の息子たちとその妻たちの合計8人から、新たに次の子孫たちが生まれました。 セムからは、おもにユダヤ人や中近東の諸民族が派生していきました。ハムからは、おもにアフリカ大陸や中近東の諸民族が派生しました。ヤフェトからは、欧米人やインド人などが派生しました。 よく、セム・ハム・ヤフェトから「黄色人種、黒色人種、白色人種」が派生したと言われますが、セムは黄色人種の祖先、ハムは黒色人種の祖先、ヤフェトは白色人種の祖先と単純に分類できるかというと、必ずしもそうではないのです。 また、聖書では肌の色による差別はありません。聖書で人間が分類されているとすれば、それは「主の民」と「異邦人」の違いです。その「異邦人」というのも、イスラエルから見て他国の人間という意味ではありません。聖書の神を信じて神様が命じるとおりに生活している「主の民」と、それ以外の人ということです。国の違いや肌の色の違いを聖書は問題にしていません。 10:2-5 ヤフェトの子孫はゴメル、マゴグ、メディア、ヤワン、トバル、シェク、ティラスであった。ゴメルの子孫は、アシュケナズ、リファト、トガルマであった。ヤワンの子孫は、エリシャ、タルシシュ、キティム、ロダニムであった。海沿いの国々は、彼らから出て、それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった。 ヤフェトとは「広い」という意味(パーター)の派生語です。その名のとおりヤフェトの子孫は広い範囲に移り住み、ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、ペルシャ、インドに住みました。ヤフェトの子孫は白人か薄い褐色の人々で、欧米人やロシア人をはじめ、ペルシャ人、インド人などとなります。 ゴメルはトルコやヨーロッパに移り住み、その先祖となりました。ゴメルの子孫は今のアルメニア人の先祖です。 アシュケナズはドイツ人の先祖です。後にドイツにはゲルマン民族が入りましたので、ドイツ人は主にアシュケナズとゲルマンから成っています。 マゴグはスキタイ人のことで、南ロシアの騎馬民族となりました。 メディア(マダイ)はメディア人のことで、後にペルシャと連合してメディア・ペルシャ帝国を築きました。世界史ではアーリア人と呼ばれている人々です。アーリア人はインド地方にも移り住み、インド人の先祖となりました。世界史でいうゲルマン民族もペルシャ人から出て、ヨーロッパ人の先祖となりました。 ヤワンはギリシャ人の先祖です。ギリシャ人は自分たちのことを「イヤオーン」と呼んでいますが、これはヤワンの子孫という意味です。 タルシシュはスペインに移り住んだ人々で、スペインには今も「タルテッソ」という港があります。 キティムの子孫はキプロスに移り住みました。 ドダニムは、北方ギリシャ人、ドーリア人、ローデア人の先祖です。 トバルは現在のグルジアに移り住んだ人々の先祖で、グルジアの首都トビリシはトバルに由来して命名されています。 メシェクはロシアに移り住んだ人々の先祖で、ロシアの首都モスクワはメシェクに由来して命名されています。 ティラスはエトラシア人のことです(ティルスと似ていますがティルスのことではありません)。 このようにヤフェトの子孫は、おもにヨーロッパやロシア方面に移り住み、インドにも移り住みました。 10:6-20 ハムの子孫は、クシュ、エジプト。プト、カナンであった。クシュの子孫はセバ、ハビラ、サプタ、ラマサプテカであり、ラマの子孫はシェバとデダンであった。クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。彼の王国の主な町は、バベルウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった、彼はその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、から、レセンを建てた。レセンはニネベとカラとの間にある、非常に大きな町であった。 エジプトにはリディア人、アナミム人、レバビム人、ハフトヒム人、上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。このカフトル人からペリシテ人が出た。 カナンには長男シドンとヘト、また、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人が生まれた。その後、カナン人の諸氏族が広がった。カナン人の領土は、シドンから南下してゲラルを経てガザまでを含み、更に、ソドム、ゴモラ、アドマ、ツェポイムを経てラシャまでを含んだ。これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である。 ハムの子孫は主にアフリカ、中近東、パレスティナ(イスラエル)、シリア、トルコ方面に移り住みました。ハムの子孫から黒人が出ましたが、ハムの子孫全てが黒人ではありません。ハム系の子孫は黒人から薄い褐色までいますが、海洋民族の先祖となって現在のマレーシアやニューギニアやオーストラリアの先住民となりました。ハムの名は「暑い」という意味で、彼らは主に暑い地方に住みました(暑い地方に住んだので子孫が黒人となった、というのは生物学的、遺伝子学的に誤った理論で、その理由については末尾に記します)。 クシュはエチオピアです。クシュの子孫は、シンアルの地(後のバビロニア)やアラビア半島にも移り住みました。クシュにはニムロドが生まれました。新共同訳では「彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、『主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ』という言い方がある」と訳されていて、まるでニムロドが主に認められた人物であるかのような印象を与えますが、もちろん、そうではなく、まったく逆なのです。 ニムロドという名は「反乱を起こす」という意味の名です。また「主の面前で」という言葉は、ヘブライ語では肯定的な意味で使う場合と、否定的な意味で使う場合とがあります。ニムロドの場合は、もちろん否定的な意味で使われています。ここで言われている「狩人の達人」とは人間を狩る達人=戦争で人間を殺す達人という意味であり、「勇士」というのも人間を殺す「戦いの器」(サムエル1:27)という意味です。またニムロドは、戦争で支配した女たちを狩るということもしました。『主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ』という言い方は、神をも畏れぬ血も涙もない残虐な「戦いの器」という意味で使われました。新共同訳聖書では、あえて意図的にそのことに触れておらず、ニムロドを正当化しているように見えます。 ニムロドの王国とは、世界史の「シュメール」のことで、いわゆるメソポタミア文明を作ったのがニムロドです。「ニムロドは地上で最初の権力者となった」(創10:8)とあります。ニムロドは、シンアルを牙城として領土をどんどん広げて大きな町を建てていき、統治者として治めました。ニムロドは、後の2大強国であるアッシリアとバビロンの首都となる「ニネベ」と「バベル(バビロン)」の町を建てます。また、アッカドも彼が建設しました。 エジプト(ミツライム)はエジプト人、リビア人、ペリシテ(パレスティナ)人の先祖です。 プトの子孫は、アフリカ北部から次第に南下して、アフリカ全土に住みました。 カナンの子孫は、パレスティナ(イスラエル)からトルコに至る地域に住みました。カナン人は近東の広範な地域において「商人」として知られました。後にイエス様が、神殿の境内で商売をしていた「商人」たちを追い出しましたが、その「商人」たちとは実は「カナン人」のことを意味します。 ソドム・ゴモラも彼らが住んだ町です。このソドム・ゴモラでは同性愛や近親相姦も行われていたので、その起源をカナンの父ハムに求め、ハムが父ノアに対してそうしたことを行ったのではないか、という見方もあるのです。 ヘト(ヘテ)は、後にヒッタイト王国を作ったヒッタイト人のことです。エブス人はエルサレムの先住民族で、エモリ人はシリアに移り住み、ヒビ人はパレスティナに移り住みました。 後に出エジプトの民が入った「カナンの地」に、先住民として住んでいたのがカナン人でした。このことは、ハナンの父ハムがもし罪を犯さなかったなら、ハムの子カナンはその地にエデンの園を回復していたであろうことを示しています。そうだったとしたら、その後の出エジプトも必要なかったのです。アブラハム・イサク・ヤコブが苦労して罪の元がえしをする必要もありませんでしたから、神様は「アブラハム・イサク・ヤコブの神」ではなく、「ノア・ハム・カナンの神」と呼ばれていたことでしょう。 しかしハムの罪により、カナンの地は神様に反逆する罪の地となっていました。神様は、その地に入るイスラエル人に対して、カナン人を追い払うよう命じられましたが、イスラエル人はそうしませんでした。その結果、カナン人はイスラエルに巣食う毒麦となりました。彼らはイスラエルの寄留者としての立場ではなく、支配層であるユダヤ人になりすますようになりました。 カナンの子シドンは、カナン地方の北に当たるフェニキアに住みました。フェニキアの3大都市であるシドン、サレプタ、ティルス(ツロ)は港町として栄え、フェニキア人は世界各国を航海し、輸出入によって莫大な富を築きました。ティルスの王ヒラムは、イスラエル王国のソロモンと同盟を結び、貿易を共有しました。そのヒラム王が送り込んだ石工フラムが、ソロモンのエルサレム神殿を建設しました。その神殿には各所に偶像があり、とても神様の神殿に程遠いものでした。ソロモンは富に溺れて堕落を究めていきますが、この「ティルス(ツロ)」こそ、神様が預言者エゼキエルを通して「サタン」として名指している者なのです。 ソロモンと同盟したカナン人たちは、当然のことながらイスラエルにいたカナン人たちと手を結びましたから、イスラエルは一気にカナン化しました。堕落を究めた国は、ソロモン王の息子の代で2つに分裂し、北イスラエル王国も南ユダ王国もどんどん堕落していきました。その中でユダヤ人になりすましたカナン人たちは、両国で指導者層を形成するようになっていきました。ファリサイ派、サドカイ派、ゼロテ党、エサイン派、アシシン派、ヘロデ党、律法学者は、いずれも彼らが組織した団体だと言われています。 北イスラエル王国と南ユダ王国は、アッシリア、バビロニアに滅ぼされ、民は捕囚されていきます。しかし神様は預言者を遣わし、正しいイスラエル人たちの尽力によって、王族のユダ族と祭司のレビ族の人々がペルシャによって解放され、神殿とエルサレムの都の再建に着手します。苦難の末、神殿の基と都は再建されますが、ここでもカナン人たちが邪魔します。その結果、再びユダヤは「荒らす憎むべき者」シリアのアンティオコス・エピファネスに滅ぼされます。その後、祭司レビ族が神殿と都を奪還しますが、ローマ帝国の支持を取り付けたエドム人ヘロデがレビ族を破って国を奪います。そこにイエス様が来られたのです。 当時のユダヤの指導層が、ヘロデ王に忠実なヘロデ派(ヘロデ党)、ファリサイ派、サドカイ派、律法学者たちでした。つまり彼らは本当の王族ユダ族ではありませんでしたし、本当の祭司レビ族でもなかったのです。神殿の境内で商売することを許可していたのも彼らです。洗礼者ヨハネは本当の祭司レビ族でした(彼の父ザカリアも祭司でしたが神殿で殺されました)。イエス様は本当の王族ユダ族でした。これを知ると、当時のユダヤの状況がよく分かると思います。洗礼者ヨハネがヘロデ王を批難したのは当然のことでしたし、イエス様がファリサイ派・サドカイ派・律法学者と対峙したのも当然でした。イエス様は、当時のユダヤ人たちと対峙していたのではなく、カナン人やエブス人、そして彼らと同盟して堕落したユダヤ人と対峙していたのです。 このことが分かると、イエス様がティルスとシドン地方に行かれ、娘が悪霊に苦しめられているカナンの女が憐れみを願い求めた際に「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」と言われた意味も理解できることと思います(マタイ15:21-28)。 イエス様を十字架につけたのも、カナンの末裔たちが形成していた最高法院=サンヘドリンでした。本来のユダヤ人たちは、イエス様を受け入れた人が少なくなかったのです。 カナンの子孫は黒人ではありません。このことは重要です。キリスト教世界では「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(創9:25-26)を根拠にして、「神は黒人を呪われた」と解釈し、黒人を奴隷にしました。しかし、カナンの子孫に黒人はいないのです。ですから、現代も続いている黒人差別には、まったく何の根拠もないのです。「黒人」と呼ばれる人々の先祖となったのは、ハムの別の息子クシュやプトの子孫たちです。 さてソロモン王は、その知恵を讃えられて有名ですが、聖書を読むとティルスのフラムとの同盟により堕落を極めた王でもあることが分かります。ヨハネ黙示録で有名な「ハルマゲドン」(メギドの丘)は、ソロモン王が要塞を築いた場所であり、「666」という数字は聖書の中で黙示録の他にはただ1つ、ソロモンの歳入が金666キカルだったことで登場する数字です。「終わりの日」に登場する偽キリストや「666の獣」を解明する鍵は、ソロモンとフラムにあるのです。 カナン人、フェニキア人は世界史から突然姿を消しますが、偽ユダヤ人となって歴史の裏側で暗躍します。彼らの一部はイスラエルでユダヤ人として活動し、また彼らの一部はイタリアのベネチアで「商人」となりました。彼らは「銀行」を作り、ヨーロッパ各国の王たちや資産家たちに金を貸し付け、さらには敵対する国と国の両方に戦争資金を貸し付けて戦争させ、双方の国から利益を得て私腹を肥やしていきました。彼らによってヨーロッパ各国は借金漬けとなり、彼らは王たちに仕えているように見えて実は、金で王たちを支配し、遂にはヨーロッパを金銭で支配するまでになりました。フリーメーソンやイルミナティと呼ばれる組織も、彼らが組織したものです。彼らはバチカン(ローマ・カトリック)も支配しています。現在、世界中の国々は、彼らが紙幣を印刷する権利を持っている世界銀行と国有銀行によって金融支配されています。『ユダヤの陰謀』と言われているものは、実はユダヤ人ではなくカナン人なのです。 10:21-31 セムにもまた子供が生まれた。彼はエベルのすべての子孫の先祖であり、ヤフェトの兄であった。セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラムであった。アラムの子孫は、ウツ、フル、ゲテル、マシュであった。アラムの子孫は、ウツ、フル、ゲテル、マシュであった。アルパクシャドにはシェラが生まれ、シェラにはエベルが生まれた。エベルには二人の息子が生まれた。ひとりの名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、ペレグといい、その兄弟はヨクタンといった。ヨクタンには、アルモダド、シェレフ、ハツァルマベト、イエラ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブが生まれた。これらは実名、ヨクタンの息子であった。彼らはメシャからセファルに至る高原地帯に住んでいた。これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたセムの子孫である。 セム系は、黄色がかった白色か褐色の肌色をしています。ヘブライ人やアラブ人、中近東に住む人々の先祖となりました。 エラムからはメソポタミア各地の諸民族が出ました。 アシュルはシリアに移り住んだ人々で、創世記2章に出てきたエデンから流れる第3の川に出てきます。アッシリアはこのアシュルに由来していますが、アッシリア帝国はアシュルが作った国ではなく、ハムの子カナンの子孫エモリ人が作った帝国です。エモリ人は、ニムロドが作った都市群を基礎にして、アッシリア帝国を作ったのです。ただ、そのアッシリア帝国は、ニムロドの子孫たちが作ったバビロニア帝国によって滅ぼされます。 アルパクシャドの孫エベルが、ヘブライ人の先祖です。ここから後のイスラエル人・ユダヤ人が出ます。また多くのアラブ人の先祖にもなりました。 ルドは、世界史でいうリディア人のことです。リディアは紀元前7〜6世紀には強国となりました。 アラムは、メソポタミアやシリアに住みました。彼らのアラム語はアッシリアやペルシャの公用語となり、イエス様の時代のイスラエルもアラム語を話しました。紀元前7世紀に新バビロニア帝国を建てたカルデア人は、このアラム系ですが、新バビロニア帝国はセム系とハム系が入り乱れていたとされています。セム系のダニエルらがバビロニア帝国で高い地位に就けたのも、セム系がバビロニアの支配階級の一端を担っていたからだといえます。 ちなみに東洋人の多くは、ヤフェト系・セム系・ハム系の混血です。 エベルの子ヨクタンから、創世記2章に出てきたエデンから流れる第1の川に出てくるハビラが生まれます。ハビラは金・琥珀・ラピスラズリの産地ですが、同じくヨクタンの子オフィルが住んだ地も金の産地として有名です(ヨブ22:24、28-16、列王記上9:28、10:11、イザヤ13:12、詩編45:10)。このことは、金や縫製が産出されるという表面的な意味のほかに、金のように精錬される人のことも意味しています。 ソロモン王が集めた金も、ティルスのヒラムの船団がソロモンの家臣たちと合流して、オフィルから運んだものです。ハビルやオフィルに金を用意したのは神様です。ソロモンはそのことを知っていて、船団を持つティルスと同盟したのでしょう。この頃のソロモン王は、神様がイスラエルに入れてはならないと命じていたモアブ人・アンモン人・エドム人・シドン人・ヘト人・エジプト人の女たちを側女にし、彼女たちが崇拝していた偶像を認め、彼女たちが崇拝する神々をイスラエルに取り入れました。 神様が用意していた金や宝石を、ソロモン王は側女たちと偶像崇拝に用いました。神様は、そのようなことのために金や宝石を用意していたのではありませんでした。 金や宝石だけでなく、石油も、あらゆるものは神様が備えられたものです。それを人間たちが自分勝手に使っているに過ぎません。神様がそれらを用意したのは、人間が幸せに過ごすことができるためであり、人間たちが奪い合って、人間が金で人間を支配するためではありません。 10:32 ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。 ノアの3人の息子たちから全世界にひろがった人間たちを白人、黒人、黄色人種というふうに「肌の色」によって区別しては、世界史を本当に理解することはできません。 肌の色などの外的な特徴は、進化論者でさえ「さまざまな人種は異なった起源から進化したのではなく、すべての人間は共通の個体群の子孫(=人種はたったひとつの人種)である」と位置づけています。 現代遺伝学では、大きなグループで自由に異種交配する時、突然たくさんの小さなグループに分かれ、その小さなグループ間でのみ交配するようになり、急激に種族特有の特徴が生まれることが明らかになっています。つまり、中間の茶色の両親から、たった1代で白から非常に黒いものまで、どんな肌の子供が生まれる可能性もあることがわかっているのです。単純に赤道付近に生まれ育ったから黒人なのではないし、肌の色で人を差別することはナンセンスです。 また、ヤフェト系の白色人種、セム系の黄色人種、ハム系の黒人種、という「肌の色」を基準にしては、世界史を正しく理解することはできません。 セム、ヤフェト、ハムのそれぞれの性質は子孫たちに遺伝し、反映されています。そこから世界史を正しく読み取ることができます。ヤフェト、セム、ハムのそれぞれの子孫たちが、どのように歴史の中で関わり合い、敵対し、連合し、現代に至っているかを読み説くことで、本当の世界史が見えてくるのです。 そして、そのヤフェト、セム、ハムのそれぞれの子孫たちが織りなす世界史の中で、カナンの子孫たちがどう関わっているのかを読み取ると、カナンが呪われているという意味も理解することができます。 さらには、セムの子孫の中で、ただ1つだけイエス様へとつながっていく血統があります。その血統が歴史の中でどのようにしてイエス様へとつながれていくか、そのことこそが聖書と人類歴史のすべての意味を解明する鍵となっているのです。 現代人が「文明」と呼び、今も「世」と呼んでいる「世界」は、人間が人間を支配している世界です。それは結局は富を支配する人間がそうでない人間を奴隷化し、支配している世界に過ぎません。 しかし、神が創造した本来の世界は、そういう世界ではありません。人間を支配するのは人間ではなく、金持ちでもありません。その本来の世界を地上に回復するために、その使命を託されたのが神の祝福を継承したセムの子孫です。セムの子孫の中に、代々受け継がれていった神の祝福は、イエス様が地上に来られることで結実し、神様が創造された本来の世界が回復されるはずでした。しかし、カナン人(偽ユダヤ人)はイエス様を十字架につけました。それでもイエス様は死なれることなく、神様の右の座に就かれました。 世は再び、カナン人の末裔が金銭で支配する毒麦が生え盛る地となったように見えますが、その中にイエス様が蒔かれた種も成長して実り、いまや世は刈り入れの日を待っています。イエス様が警戒せよと言われたファリサイ派のパン種、ヘロデのパン種も育って地上に溢れています(パウロはヘロデの親族でファリサイ派)。 いまの世は、神様が創造した本来の世界を回復するためだけに「終わりの日」まで存在が猶予されているのです。ノアのときと同じように。イエス様の十字架から2000年、神様は待たれました。神様に立ち帰る人と、そうでない人とを。 まもなく世は滅びます。「神の国」を見いだす人は幸いです。 |