19:1-3 2人の御使いがソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、言った。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊りください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。 ヘブライ語原典では「そして2人の天使たちが夕方にソドムに来た。ロトがソドムの門に座っていた。彼らを見たロトは立ち上がって、彼らに向かって地面に顔をひれ伏した。そして彼は言った。『さあ、どうかわが主人方よ、どうかあなたの僕の家にお立ち寄りください。そして泊ってください。そしてあなたがたの足を洗って下さい。そして早起きしてください。そしてあなたがたの道に歩いて行ってください。』 しかし彼らは言った。『いいえ、なぜなら我々は通りで泊まる。』 しかしロトは彼らに非常に強いたので、彼らは彼の所に立ち寄った。そして彼の家に入った。それでロトは彼らに宴会を行った。そして種なしパンを彼は焼いた。そして彼らは食べた。」です。 「ロトがソドムの門に座っていた」という記述は、多くのことを示唆しています。ロトはかつて、神様の召命に従い故郷ハランを旅立ったアブラハムと共に、カナンの地に向かって旅立ちました。そして飢饉によって寄留したエジプトで、アブラムとサライはアダムとエバの罪の元がえしに成功すると共に、ファラオから多くの羊や、牛、男女の奴隷、家畜などを得ました。アブラハムと共にいたロトは、その恩恵に預かって多くの羊や牛の群れを飼うようになり、たくさんの天幕を持つまでになりました。それらはすべてアブラハムを通してロトに与えられた神様の祝福にほかならず、共にいたロトは、アブラハムのゆえにその恩恵を与えられたのです。 しかし、やがてロトの羊飼いがアブラムの羊飼いと争うようになりました。そもそもアブラムのおかげで財産を得たはずのロトの羊飼いが、どうしてアブラムの羊飼いと争うようになったのでしょうか。それはロトが、自分たちの恩恵がアブラムのおかげであることを自分の羊飼いたちに伝えておらず、ロト自身も財産のすべては自分の力で得たものと勘違いし、思い上がってしまっていたことを示しています。それゆえロトと共にいた者たちは勘違いし、アブラハムの羊飼いと争うまでに傲慢になっていたのです。ロトは自分の羊飼いを戒めるべき立場でしたが、そうしていなかったのです。そこで、ロトの羊飼いたちがアブラハムの羊飼いと争うくらいなら、別れて住むことを提案したのです。 そのときロトは、自分の目に見渡すかぎりよく潤っていたヨルダン川流域の低地一帯を選んで移り住みました。そして、やがてソドムに天幕を移しました。ソドムは、主に対して多くの罪を犯していた町でしたが、それでもロトはソドムを選んで住んだのです。アブラハムのもとを離れたロトは、どんどんと加速度的に悪に傾いて行き、歯止めが掛からなくなっていました。 ロトは最初、主に対して多くの罪を犯しているソドムに住むことをためらったからこそ、別の低地を選んだのです。ロトはその低地で、自分の力によって財産をますます増やして、自分の町にする自信があったのでしょう。ところが、思ったようにはいかなかったのでしょう。それで、主に対して多くの罪を犯していることを知っていながら、ソドムの町に頼ったのです。 聖書にはロトの結婚について記されていませんが、おそらくヨルダン川流域の町々の娘か、ソドムの娘と結婚したのでしょう。そして、メソポタミア連合軍に襲われて捕囚になりました。それでも、その頃のロトはまだ幾らかの財産をもっており、アブラムがそれを取り返しています。 しかし今やロトは、ソドムの門の入り口に座っています。後の記述から分かりますが、この頃のロトには妻と娘と婿の他に、羊飼いや働き手や仲間たちや女たちはいなくなっており、牛や羊などの財産も無くなっています。ロトは、ソドムの人たちに人も財産も奪われたのかも知れません。ロトが町の門の入り口に座っていたのは、そこにしか居場所がなかったのかも知れません。 ソドムの門の入り口に座っていたロトは、町を訪れた2人の御使いに気付きました。ロトは希望を見い出したかのように、立ち上がって彼らに向かって地面に顔をひれ伏し、2人の御使いを自宅に招き入れ、もてなしました。しかし、もてなしと言っても、牛も羊も乳もなく、パンに入れるパン種すらもなかったようです。 19:4-14 彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」 ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が2人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」 男たちは口々に言った。 「そこをどけ。」 「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先にお前を痛い目に遭わせてやる。」 そして、ロトに詰め寄って体を押し付け、戸を破ろうとした。 二人の客はそのとき、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくした。二人の客はロトに言った。 「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」 ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き、「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ」と促したが、婿たちは冗談だと思った。 ヘブライ語原典では「彼らが横にならないうちに、その町の男たち、ソドムの男たちが、若者から老人までも隅からすべての民が、その家の側を取り巻いた。そして彼らはロトに向かって叫んで言った。『今夜お前のところに入ったその人たちは、どこにいるのか。彼らを私たちに出せ。私たちは彼らを知ろう』 それでロトは彼らに向かって入口の方へ出て、扉を彼の背後で閉めた。そしてロトは言った。『どうか私の兄弟たちよ、悪いことをしないでください。どうか見てください。わたしには男を知らない2人の娘たちがいます。さあ、私は彼女たちをあなたたちに差し出しましょう。それで、あなた方の目に良いように彼女たちにしなさい。ただ、この人々にあなたがたは、これらのことを何もしないでください。なぜなら、彼らは私の屋根の陰の中に入った人たちであるがゆえに。』 しかし彼らは言った。『あっちへ引っ込め。』 そして彼らは言った。『この一人は寄留するために来た(=よそ者の)くせに。彼は裁くに裁く。今や、私たちは彼らよりもお前に悪事を働こう』 そして彼らは、その男ロトに非常に近づいて、その扉を壊そうとした。すると、その人たち(2人の御使い)は彼らの手を伸ばし、ロトを彼らの方へ、家へ入れた。そしてその扉を閉じた。そして、その家の入口にいる男たちを、小さい者から大きい者まで、彼らは目つぶしで撃った。それで彼らは、その入口を見つけるのに疲れた。そこで、その人たちはロトに向かって言った。『まだ誰か、お前に娘婿、お前の息子たちとお前の娘たち、またすべてのお前に属する者がこの町の中にいるなら、この場所から出せ。なぜなら、私たちはこの場所を滅ぼそうとしている。なぜなら、主の顔の前に彼らの叫びが大きくなったから、それで主がそれを滅ぼすために私たちを遣わした。』 ロトは出かけた。そして彼の娘婿たちと、彼の娘たちを娶ろうとしている者たちに話した。そして言った。『立て、出よ。この場所から。なぜなら主がこの町を滅ぼそうとしている。』 しかし、彼の娘婿たちの目には、彼が戯れているように見えた。」です。 ソドムの町の男たちは、若者から老人に至るまでが、見知らぬ人を見つけると「なぶりもの」にする男たちだったことが分かります。弱肉強食の世が極まると、世はこのようになるのです。 「なぶりもの」と訳されているヘブライ語の「知る」は、すでに学んだように「性交する」を意味しますから、ソドムの男たちが客人に要求しているのは性交です。ロトにとってソドムの男達に対抗する手段は、娘を差し出すという以外にありませんでした。父親として、あるまじきことです。だからと言って、自分が家に招いた責任がありますから客人を差し出すわけにもいきません。そもそもは、ロト自身が「主に対して多くの罪を犯していたソドム」に住まなければ、このようなことにはなっていません。誰のせいでもない、自分自身が招いた自業自得です。 ソドムにとって「よそ者」であるロトが、彼らに何かを言うことさえ、ソドムの男たちは許しません。ロトが彼らに対して何かを言うことは、彼らにとって「指図すること」だと受け止められ、どんなことでも難癖を付けられるのです。強い者が弱い者を支配する世の姿です。彼らに支配されないためには、彼ら以上に強力な悪人になるか、さもなければ彼らから離れて神様と共に生き、彼らに支配されない生き方をするしかないのですが、ロトにはそれができません。ソドムを支配する悪人に屈して、情けない生活をするしかないロトでした。ロトより可哀相なのは、ロトの娘たちです。何と情けない親なのでしょう。 ロトはかつて神様を知っていました。神様の力も、神様と共にあることの恩恵の豊かさも知っていました。それなのに神様と共に生きることができず、娘たちを神様のもとで平安に豊かに暮らさせることができず、ソドムの男たちの餌食として差し出すはめになっているのです。 そんなロトを助けるのは2人の御使いです。2人の御使いは、神様に憐れまれる何の条件もないロトとその家族を、哀れに思い助けます。 2人の御使いは、自分たちがソドムを滅ぼすために来たことを教え、ロトに、ロトの家族だけでなく身内の人たち全員にソドムから逃げるよう、伝えるように言います。ロトは嫁いだ娘たちの婿たちのところへ行き、「立って、ここから出なさい。主がこの町を滅ぼそうとしている。」と言います。しかし、ロトの娘婿たちは「戯れているよう」にしか聞こえません。それはそうです。御使いが町を滅ぼしに来るなどという話を突然、聞かされても、ふだん神様のことや、罪人が受ける報いのことなど何も知らされていない婿たちにしてみれば、「何の話?」ということです。ふだん何も教えていなければ、そのときになって急にそんなことを話しても、話が通じるはずがありません。 結局、婿たちも、嫁いだ娘たちも、ソドムから出ず、死んでしまうのです。 19:15-22 夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。「さあ早く、あなたの妻と、ここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」 ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手を取らせて町の外へ避難するようにされた。彼らがロトたちを町はずれへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」 ロトは言った。「主よ、できません。あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください。」 主は言われた。「よろしい。そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」 そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。 ヘブライ語原典では「そして暁が上がった頃、天使たちは『ここにいるお前の妻と2人のお前の娘たちを、立って連れて行け。この町のとがのために、お前が滅びないように。』と言ってロトを急がせた。しかし彼はぐずぐずした。それで、その人たちは彼の妻と彼の手を、また2人の彼の娘たちの手を握った。主の彼に対する慈悲によって彼らはロトを出した。そして彼をその町の外に置いた。そして御使いらがロトと家族を外に出した時であった。彼は言った。『お前の魂のために避難せよ。お前の後ろを見つめるな。そして低地のどこにも立ち止まるな。山の方へ避難せよ。お前が滅びないように。』 するとロトは彼らに言った。『どうかわが主よ、そうしないでください。ご覧ください。あなたの僕があなたの目に恵みを見つけました。あなたはあなたの慈しみを大きくしてくださり、あなたは私と共に私の魂を生かすためにしてくださる。しかし私は山の方へ避難することができません。私にその災いがとり憑かないようにしてください。私が死にます。どうかご覧ください。そこへ逃げるのに近いこの町を。そしてそれは小さなもの、どうか、そこへ避難させてください。それは小さなものではありませんか。そして私の魂が生きるようにしてください。』そこで彼はロトに言った。『見よ、このことについてもまた、わたしはあなたの顔を上げた(あなたの願いを聞き届けよう)。わたしがお前が話したその町をひっくり返さないようにしよう。急げ、そこへ避難せよ。なぜなら私はお前がそこに入るまで、わたしは何もすることが出来ない。』それゆえに彼は、その町の名をツォアル(小さい、取るに足りないもの)と呼んだ。」です。 夜が明ける頃、御使いたちはロトに、妻と2人の娘だけでも連れて逃げなさい、と急きたてます。ところが、ロトはぐずぐずしていました。これはどういうことでしょうか。 新共同訳聖書で「ロトはためらっていた」と訳されているヘブライ語原典の「彼はぐずぐずしていた」は、心を研ぎ澄まして読んでいないと読み過ごしてしまうところですが、非常に重要なことなのです。 御使いにせき立てられたロトは、娘婿たちの所に行って婿たちに急いでソドムを出るようにと、せきたてているのに、そのロトが娘婿たちの所から戻って来ると、今度はロト自身がぐずぐずしていたというのです。 ロトは、御使いにせかされたときには本当に大変だと思って婿たちの所に行き、婿たちに急いでソドムを出よと言ったのですが、婿たちにそれを戯れだと思われてしまうと、今度は婿たちの影響を受け、戯れなのかもしれないと思ったのです。つまりロトは、御使いの言葉に影響されて娘婿たちを急がせたけれども、娘婿たちにそれを戯れだと受け止められると、今度は婿たちの言葉に影響されて戻ってきたということです。それでロトは、急かす御使いたちに対して、ぐずぐずした態度をとったのです。 それは、御使いたちに対して抵抗している態度です。娘婿たちに戯れだと思われて、その娘婿たちに影響されて戻って来たロトは、急かす御使いたちを信じなくなっていたということです。このことはロトが、神様に背いていたとは言わないまでも、神様を第一に生活しているつもりで実はソドム(世)に従って生活していたことを証明しています。 ロトは自分の足で立って神様を信じているわけではなくアブラハムに影響されて神様を信じていただけなので、すぐに周りに影響されるのです。アブラハムと一緒にいたときはアブラハムの良い影響を受け、何ごともうまくいっていたのですが、それを自分の力だと錯覚してしまい、アブラムのおかげで得た財産も無くし、ソドムの人たちに虐げられても、ソドムから出ることができませんでした。 御使いに急かされても、ぐずぐずしているロトの態度は、もはや救われるに値しない行いです。それでも主は、慈悲によって、2人の御使いに無理やりロト、妻、2人の娘の手を取らせて町の外に避難するようにされました。 御使いたちがロトたちを町の外へ連れ出したとき、主は「お前の魂のために避難せよ」と言われます。これは単に肉体の生命が助かるためだけでなく、魂が救われるためでもありました。「お前の後ろを見つめるな」とは、ソドムの享楽に目を奪われるな、という意味でもあります。なぜなら、それがロトの魂が陰府(よみ)にいざなわれて不幸にした原点だったからです。「低地のどこにもとどまるな」というのは、かつてロトの目によく潤って見え、エデンの園のように見えた「低地」に目を奪われて魂が陰府にいざなわれて不幸になったことを指しています。 ところが、ロトはその警告に従いません。ロトは、山まで逃げ延びることはできないと言い、その言い訳として、災いにとり憑かれて死んでしまうから、と。そして、近くの小さな町を示し、その町へ逃げさせてほしいと願い出ます。ロトの本心は、何もない山に逃げるよりも、町に逃げたかったのです。 どうして、そんなことが分かるのかというと、後のロトの行動から、それが分かるのです。ロトは、自分で山ではなくツォアルの町にして欲しいと願い出ておきながら、後になって恐ろしくなり、結局は山に逃げたのです。 つまり、ロトは最初から山に逃げることはできたのです。ところがソドムから遠く離れた山よりも、ソドムの近くの町に逃げたかったのは、ロトが娘婿たちに影響されて半信半疑になっていたこと、そして、ソドムに何も起こらなかったり、起こったとしても復興できる程度だろうから、すぐにもソドムに戻れるツォアルの町にしておきたかったのです。この選択は、ロトの中途半端さ、優柔不断さ、決断力のなさ、人の言葉に左右される『風に吹かれる葦』のような無責任さを、よく表しています。 ロトの、この場面の主との交渉は、一見するとアブラハムがソドムにいるかも知れない義人を救って欲しいと願い出た交渉と似ているように見えますが、実は正反対です。アブラハムは自分のためではなく、まったく人のために交渉したのであり、その動機は愛です。しかしロトは自己都合から交渉しているのです。その動機は愛とは正反対の利己心です。 それでも主は、ロトの願いを聞き届けてくださり、ロトが示した町を滅ぼさないことを約束してくださいました。 19:23-29 太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。 アブラハムは、その朝早く起きて、さきに主と体面した場所に行き、ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。 こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。 ヘブライ語原典では「太陽が地の上に出た。そしてロトはツォアルに入った。主はソドムとゴモラの上に硫黄と火を、天から、主のもとから、降らせた。そして町々を、すべての低地を、その町々に住んでいる者たちすべてを、その土地の植物を、ひっくり返した。しかし彼の妻は彼の後ろから見つめた。そして彼女は塩の柱になった。 アブラハムはその朝、早起きして、主の顔と共にそこに立った場所に行き、ソドムとゴモラと、低地の地方の面のすべてを見渡した。すると見よ、その地の煙が、かまどの煙のように上った。そして神が低地の町々を滅ぼした時、神はアブラハムを思い出した。そして、ロトが住んでいた町々をひっくり返した時、ロトを転覆の真ん中からロトを送り出した。」です。 太陽が昇って、ロトがツォアル(小さな町)に着いた時、主はソドムとゴモラの上に硫黄と火を降らせ、低地、住民、植物すべてを転覆させられました。その時、主はアブラハムを思い出され、アブラハムのゆえにロトを救い出されたのです。ロトには、ソドムの滅びから救い出される何らの条件もありませんでした。ただアブラハムのゆえに、主がアブラハムのことを思われるがゆえに、ロトはソドムの滅びのただ中から救い出されたのです。 「後ろを振り返ってはいけない」と言われていながら、ロトの妻は後ろを振り返り、塩の柱になりました。この場面を読んだ人は、どうしてふり返ってしまったのだろう、と思うでしょう。しかし、このような時、ふだんから神様を第一に生活していない人は、無意識のうちに行動してしまうのです。ロトの妻は、自分の都合を最優先して生活していたことが、この行動から分かります。それを不信というべきか、欲望というべきか、執着心というべきか、いずれにしても、頭では分かっていたはずなのに無意識に振り返ったのでしょう。 頭では神様を愛しているつもりでも、神様を第一に生活しているつもりでも、結局のところ何だかんだと言い訳しながら自分の都合を最優先して生活している人は、自分だけを愛し、自分が第一で、自分のために神様がいてくださっているつもりなのです。 多くの人は、いざ命に関わるような窮地の時になったら、自分は神様が言われたとおりに行動できると考えます。しかし、ロトの妻がそうであったように、神様よりも自分の都合を優先して生活している人は、窮地のときが来ても何もできません。それどころか、窮地がすぐ目の前に迫っていることさえ気付けません。 間もなく来る「世の終わりのとき」について、イエス様はこう言っておられます。 「ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。」(ルカ福音書17:28-30) その日の早朝、アブラハムは早起きしました。この頃のアブラハムは神様のことに敏感だったので、「その日」が分かったのです。アブラハムが見降ろすと、ソドムとゴモラと低地の町々から煙が「かまどの煙」のように立ち上っていました。その事実は、アブラハムが願った10人の義しい者も町にいなかったことを示していました。 黙示録9:2に次のようにあります。「それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどからでるような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。」 ソドムとゴモラ、低地の町々は、人間の目にはよく潤った地に見え、そこに住む人々は享楽的な毎日を送っていました。しかし、そのことこそが滅びに定められた理由だったのです。 いまや世界全体がソドムとゴモラです。滅びは、多くの人々にとって、ある日突然、襲います。 19:30-38 ロトはツォアルを出て、2人の娘と山の中に住んだ。ツォアルに住むのを恐れたからである。彼は洞穴に2人の娘と住んだ。姉は妹に言った。「父も年老いてきました。この辺りには、世のしきたりに従って、わたしたちのところへ来てくれる男の人はいません。さあ、父にぶどう酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう。」 娘たちはその夜、父親にぶどう酒を飲ませ、姉がまず、父親のところへ入って寝た。父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気がつかなかった。 あくる日、姉は妹に言った。「わたしは夕べ父と寝ました。今晩も父にぶどう酒を飲ませて、あなたが行って父と床を共にし、父から子種をいただきましょう。」 娘たちはその夜もまた、父親にぶどう酒を飲ませ、妹が父親のところへ行って寝た。父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気がつかなかった。 このようにして、ロトの2人の娘は父の子を身ごもり、やがて、姉は男の子を産み、モアブ(父親より)と名付けた。彼は今日のモアブ人の先祖である。妹もまた男の子を産み、ベン・アミ(わたしの肉親の子)と名付けた。彼は今日のアンモンの人々の先祖である。 ヘブライ語原典では「そしてロトはツォアルから上って、その山に住んだ。そして2人の彼の娘たちが、彼と共に住んだ。なぜなら彼はツォアルに住むことを恐れたからである。彼は、2人の彼の娘と洞穴の中に住んだ。長女は妹に言った。『私たちの父は年老いている。そして、全地の道に従って私たちの上に来る男は、この地にいない。さあ行って、私たちは私たちの父にぶどう酒を飲ませよう。そして私たちは彼と共に寝よう。そして私たちの父からの種を生かそう。』 彼女たちはその夜、彼女たちの父にぶどう酒を飲ませた。そして長女が入って、彼女の父と共に寝た。しかしロトは、長女が寝た時も、また長女が起きた時も、知らなかった。その翌日、長女は妹に言った。『ご覧なさい、私は昨晩、私の父と共に寝ました。私たちは今夜もまた彼にぶどう酒を飲ませよう。そして彼と共に入って寝なさい。私たちは私たちの父からの種を生かそう。そして彼女たちはまた、その夜に彼女たちの父にぶどう酒を飲ませた。そして妹が立って、彼と共に寝た。しかしロトは、次女が寝た時も、また次女が起きた時も、知らなかった。そして2人の娘たちは彼女たちの父ロトの子を妊娠した。長女は男児を産んだ。彼女は彼の名をモアブと呼んだ。彼は今日までモアブ人の父である。そして妹もまた男児を産んだ。彼女は彼の名をベン・アミと呼んだ。彼は今日までアンモンの子たちの父である。」です。 ソドムが滅ぼされた日、主はロトに「山へ逃げなさい。」と言われましたが、ロトは山まで逃げ延びることはできませんと言い、その言い訳として、災いにとり憑かれて死んでしまうから、と言いました。そして、近くの小さな町へ逃げさせてほしいと願い出て、主はロトの願いを聞き届けてくださり、ロトが示した町を滅ぼさないことを約束してくださいました。 ところが、ロトは自分が願い出たツォアルに住むのを恐れて、ツォアルを出て2人の娘と山の中に住むのです。ロトは何を恐れたのでしょうか。ロト自身が、山は無理だからツォアルの町にして欲しいと願い出て、主がその町を滅ぼさないと約束してくださったのに、その町が滅ぶことを恐れたのでしょうか。そうではありません。 ロトは、本当は山に逃げることができたのに、ソドムに何も起こらなかったり、起こったとしても復興できる程度なら、すぐにもソドムに戻れるツォアルの町にしておきたかったのです。ところがソドムは徹底的に滅び、後ろを振り向いた妻は塩の柱になってしまいました。何から何まで主と御使いが言ったとおりになったので、ロトは恐れたのです。 主が山に逃げなさいと言われたからには、山に逃げれば災いに巻き込まれるわけがないのです。それなのに、ロトは山に逃げるまでに災いに巻き込まれて死んでしまうと言い訳をして、町での生活を頼りにしようとしたのです。そのことはロトの心がいちばん知っていました。 最初から、素直に神様に従っていればよかったのに、ロトは自分の都合のいいことを願い出ました。ところが、恐くなってツォアルを出て山に行き、娘2人と住みます。しかし主は、すでにロトの願いを聞き入れて、ツォアルの町は滅ぼさないと言いました。山に逃げることはロト自身が拒否したので、そこに神様の約束はありません。いまさら恐くなって最初に言われた山に逃げても、そこに神様の手は及ばないのです。ロト自身が、自分で願い出て変えたからです。自分が拒否した山の中に、安心があるはずがないのです。最初から山に逃げていれば、神様は責任をもって山でのロトたちの生活を保障してくださったはずです。しかし、それはロト自身が拒否しました。ですから、山は神様の責任の範囲外なのです。 ロトはこの時、伯父アブラハムに助けを求めることもできたはずです。しかしロトは、それもしませんでした。なぜなら、ロトはソドムのような享楽的な町での生活が好きだったからです。 娘の立場から、父親ロトを見てみましょう。父親ロトは、山ではなくツォアルの町に逃げることを主に願い出て、それを許されました。それなのに父ロトは、ツォアルに住むことを恐れて、山の中の洞穴に娘2人を連れて出たのです。娘2人は、自分たちのところに来てくれる男はいないだろうと絶望しました。そして、あろうことか父親と交わり、子を産むのです。 ロトの娘たちは近親相姦という、とんでもない罪を犯してしまいます。すべての原因は、ロトにあります。ロトの行動には一貫性が無く、ご都合主義で、だからこそ娘2人は絶望したのです。ロトの行動が一貫していて、最初から山に逃げていたならば、主と御使いは責任を持って彼らを見守ってくださったはずです。ロトが勝手に向かった山の洞穴で、娘たちが絶望する必要はなかったでしょう。娘2人に、このようなことをさせたのは、ロトのご都合主義なのです。 長女が父と交わって産んだ男児はモアブ人の祖となり、次女が父と交わって産んだ男児はアンモン人の祖となります。律法には、こう記されています。 「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。10代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。」(申命記23:4) ただ、唯一の例外が聖書の「ルツ記」の主人公であるルツです。ルツは、ロトと長女が交わって生まれたモアブの子孫でしたが、神様に忠実なエリメレクとナオミの息子に嫁ぎました。しかしナオミは、夫にも息子にも先立たれ、ルツに故郷に帰るよう諭します。しかしルツは、ナオミを見捨てることなどできないと言い、ナオミの民は私の民、ナオミの神はわたしの神だと言って、ナオミと共に「主の民」のもとへ行きます。そして、ナオミが知恵をもって自分の亡くなった夫エリメレクの一族の中でもっとも有力なボアズに、ルツを嫁がせるのです。詳細はここでは書きませんが、モアブ人ルツの信仰と愛と知恵は「主の民」に勝るとも劣らないものでした。その信仰と愛と知恵が、モアブの血を超えた例外となり、ボアズとルツの孫エッサイの子にダビデが生まれます。ダビデは羊飼いからイスラエル王国の王になりました。そしてダビデの子孫にイエス様が生まれるのです。 ルツは例外中の例外ですが、たとえモアブ人であっても2つの道を選択できるのです。モアブの血に流されて優柔不断なご都合主義で自らを滅ぼすか、それともルツのように血を超えて神様の娘として立つか。 |