安息日の礼拝  創世記の真相

創世記25章




25:1-6
 アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラと言った。彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。
 アブラハムは、全財産をイサクに譲った。側女の子供たちには、贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた。


 ヘブライ語原典では「アブラハムは重ねて妻を取った。彼女の名はケトラ。彼女は彼にジムランとヨクシャンとメダンとミディアンとイシュバクとシュア、そしてヨクシャンはシェバとデダンを産んだ。そしてデダンの子たちはアシュル人とレトシム人とレウミム人であった。ミディアンの子たちはエファとエフェルとハノクとアビダとエルダア。これらはすべてケトラの子たちであった。アブラハムはすべての彼に属するものをイサクに与えた。アブラハムの側女たちの子たちに、アブラハムは贈り物を与え、彼がまだ生きているうちに、彼の息子イサクの上から、東の方、ケデムの地に送り出した」です。

 アブラハムはサラが亡くなった後、ケトラという妻を娶りました。ケトラとはヘブライ語で「香料、香をたく」という意味です。アブラハムは自分が存命中にイサクにすべてを相続して一族の後継者とし、ケトラとその子供たちには贈り物を与えてケデムの地に送り出しました。
 サラが亡くなった後ですので、ケトラはふつう側女とは呼ばれず後妻と呼ばれるのですが、アブラハムはサラが亡くなった後もサラを正妻とし、その立場を尊重したのです。
 ケトラの子孫たちはアラビアに住むようになり、ミディアン人は遊牧(出2:16)や隊商による貿易(創37:28)を行うようになります。このミディアンの子孫は後に、イサクの孫ヨセフが兄弟たちに穴に落とされた時、穴から引き上げて銀20枚でイシュマエル人に売ります(創37:25-28)。またモーセは、ミディアンの祭司エトロの娘ツィポラを娶ります。
 ミディアンとエファ、シェバについてイザヤ60:6は、次のように記しています。

「ミディアンとエファの若いラクダが あなたのものとに押し寄せる。
シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。」

 これは「終わりのとき」に主がイスラエルの王となられて、アラビアに住むケトラの子孫たちも黄金と乳香を携えてイスラエルに来て、主の栄誉がアラビアの地にも宣べ伝えられることをイザヤが預言したものです。
 つまり、このことも主のご計画の一環なのです。



25:7-11
 アブラハムの生涯は百七十五年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子イサクとイシュマエルは、マクベラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。


 ヘブライ語原典では「これがアブラハムの生涯の年の日々。彼が生きたのは、百年と七十年と五年。アブラハムは良く年老いて、また満足して、白髪で息絶えて死に、彼の民に集められた。彼の息子たち、イサクとイシュマエルは、彼をマムレに面したヘト人ツォアルの息子エフロンの畑にあるマクベラの洞穴に葬ったが、その畑はアブラハムがヘトの子たちから買った。そこへ、アブラハムと彼の妻サラが葬られた。アブラハムが死んだ後、神は彼の息子イサクを祝福した。そしてイサクはベエル・ラハイ・ロイと共に住んだ」です。

 アブラハムは175歳で亡くなりました。新共同訳は単に「長寿を全うして」と訳していますが、アブラハムは単に長命だったのではなく、「良く年老いて、また満足して、白髪で死んだ」のです。アブラハムの生涯は、失敗もなかった訳ではありませんが、白髪になるまで神様の道を歩み抜き、それによって満足して死んだのです。
 息子イサクと、ハガルの子イシュマエルは、アブラハムの亡骸をサラが葬られているマクベラの洞穴に葬りました。
 新共同訳では「先祖の列に加えられた」と訳されていますが、この訳は誤解を招くかも知れません。ヘブライ語原典の「彼の民に集められた」は、アブラハムの先祖たち、特に神様と共に歩んだ先祖たちの列に加わったという意味です。アブラハムとサラの子孫たちも、アブラハムやサラのように神様の道を歩み抜いて亡くなった人たちは、彼の民に集められるのです。
 当然のことですが、先祖崇拝について書かれている訳ではありません。神様と共に歩んで人生を全うした先祖たちは尊敬すべきですが、崇拝対象ではありません。尊敬することと、崇拝することとは、まったく別のことです。十戒の「父母を敬いなさい」は、神様と共に歩んでいる父母や先祖を敬いなさいと戒めています。神様と共に歩んでいる父母や先祖は敬わなければなりませんが、崇拝すべきは神様ただお一人だけです。



25:12-18
 サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。イシュマエルの息子たちの名前は、生まれた順に挙げれば、長男がネバヨト、次はケダル、アドベエル、ミブサム、ミシュマ、ドマ、マサ、ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。以上がイシュマエルの息子たちで、村落や宿営地に従って付けられた名前である。彼らはそれぞれの部族の十二人の首長であった。
 イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた。イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。

 
ヘブライ語原典では「そしてこれらが、サラのエジプト女の女奴隷ハガルがアブラハムに生んだアブラハムの息子イシュマエルの系図である。これらが、彼らの系図に従って彼らの名で、イシュマエルの子たちの名前である。イシュマエルの長男はネバヨト、それからケダルとアドベエルとミブサムとミシュマとドマとマサ、ハダドとテマ、エトル、ナフィシュとケドマ、これらがイシュマエルの子たちである。そして、これらが彼らの村落と宿営地の名前で、彼らの十二氏族の君主たちである。
 イシュマエルの生涯の年数は、百年と三十年と七年である。そして彼は息絶えて死に、彼の民に集められた。彼ら(イシュマエルの子たち)はエジプトに面したハビラからアシュル方面の至るところに住み、彼の兄弟たちすべてに面して定着した。」です。

 ここにはイシュマエルの系図が記されています。かつてアブラハムが神様の御前にイシュマエルが生きながらえるように願った時、神様が答えて言われた「イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする」(創17:20)という御言葉の成就を証ししています。

 イシュマエルは、137年生きて亡くなり、彼の民に集められました。「彼の民に集められた」というのは、アブラハムの民とは別の、イシュマエルの民として、その列に加わったという意味です。
 イシュマエルの子らは、エジプトに面したハビラからアシュル方面の至るところに住み、彼の兄弟たちすべてに面して定着しました。ハビラは、サムエル記などの記載によればアマレク人の領土を含んでおり、パレスチナ南部を中心としてシナイ半島の北西部にあるシュルからアラビア北部に拡がっている地域です。アシュルは後のアッシリアのことで、シリア全域に拡がる地域です。
 イシュマエルの子孫たちは、ハビラからアシュル方面の至るところで遊牧民として城壁を築かない定住式の集落を作り、天幕に住みました。その村落はそれぞれの名で呼ばれ、氏族名となり、居住地を表す名前となりました。
 ハビラについては、聖書が次のように記していたことを思い出すでしょう。
「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤い、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。」(創2:10-12)

 イシュマエルの子孫たちは「終わりのとき」まで互いに争いあって生活しますが、預言者イザヤは、彼らも「終わりのとき」に主によって集められて、主に受け入れられると預言しています。




25:19-26
 アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。アブラハムにはイサクが生まれた。イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出掛けた。
 主は彼女に言われた。
 「二つの国民があなたの胎内に宿っており 二つの民があなたの腹の内で別れ争っている。一つの民が他の民より強くなり 兄が弟に仕えるようになる。」
 月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。

 ヘブライ語原典では「これらがアブラハムが産ませたアブラハムの息子イサクの歴史(由来)である。イサクが、バダンアラムからアラム人ベトエルの娘、アラム人ラバンの妹、リベカを彼のために妻として娶った時、40歳だった。イサクは、不妊だった彼の妻と向かい合って主に懇願した。主は彼のために聞き入れられ、彼の妻リベカは妊娠した。彼女の内側で、その息子たちがぶつかりあった。彼女は言った。『もしそうなら、私はなぜこうなのでしょう』。彼女は主を強く求めるために出かけた。すると主は彼女に言った。『あなたの胎の中に二つの民がいる。そして二つの民族が、あなたの腹から別れる。そして民族が民族より強くなる。そして大きい者が若い者に仕える。』 彼女の産むための日々が満ちて、見よ、彼女の胎内に双子がいた。そして一番目が出てきた。彼の全身は、毛の外套のように赤毛だったので、彼らは彼の名をエサウと呼んだ。そしてその後に、彼の弟が出てきた。彼の手はエサウのかかとをつかんでいたので、彼の名をヤコブと呼んだ。彼らを産んだ時、イサクは60歳であった。」です。

 これはアブラハムの息子イサクの系図です。イサクは40歳の時、アブラハムの弟ナホルの息子ベトエルの子リベカを娶りました。「アムル人」というのはセムの子孫という意味です。異邦人のことではありません。
 「バダンアラム」というのは、アラム人の国という意味で、セムの子孫たちが住んだ地域のことです。
 イサクは、妻リベカに子ができなかったので、妻リベカとしっかりと向き合って、共に、主に懇願しました。そして主はそれを聞き入れられ、彼女は身ごもりました。
 リベカの胎内で、胎児たちがぶつかりあうので、リベカは『もしそうなら、私はなぜこうなのでしょう』と思い、主を強く求めるために出かけるのです。新共同訳では「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と訳していますが、それだとリベカは自分の身を案じたかのようです。もちろん、そうではありません。ヘブライ語訳で分かるように、リベカは、胎内で子供たちがぶつかり合うことに、どのような意味があるのかと思い、主を強く求めるために出かけたのです。
 リベカは、かつてアダムとエバが、カインとアベルの兄弟間に生じた不穏な空気に気付かないまま、何もしなかった結果、兄カインが弟アベルを殺したことを知っていたでしょうから、もしや生まれて来る双子は長子権を争って殺し合いになるかも知れない、ということも予感したかも知れません。その上で、胎内で子供たちがぶつかり合う意味を、強く主に求めるために出かけたのかも知れません。

 リベカが「主を強く求めるために出かける」の「出かける(行く)」というヘブライ語「ヴァテレフ」は、動作の継続を表す語ですので、リベカは神様の答えを求めて何らかの行ないを継続し、求め続けたのだと考えられます。リベカは、かつてアブラハムの僕とラクダたちのために、ためらいなく労を惜しまず水汲みした行動が示すように、神様の答えを求めるために、神様が応えられるに相応しい「行い」を積み重ねる女性だったことが分かります。
 そして、主は彼女の求めに答えて言われました。
 『あなたの胎の中に二つの民がいる。そして二つの民族が、あなたの腹から別れる。そして民族が民族より強くなる。そして大きい者が若い者に仕える。』。
 これは、リベカの胎内には2つの民の祖となる2人の子供が宿り、彼らはそれぞれ別の民となり、1つの民が他の民より強くなり、先に生まれる大きい者(兄)が、後から生まれる若い者(弟)に仕える、という意味です。

 もしリベカが、この胎動について「よく動く元気な子供たち」という認識だけだったとするならば、双子の兄弟が生まれた時、当然のように先に生まれた兄が父イサクから長子権を継承したことでしょう。そうなると神様の「大きい者が若い者に仕える」とはならないので、神様がアブラハムと約束された永遠の契約も成就しない可能性があります。
 リベカはこの日から、神様が言われた言葉を成就させるために、すべてを尽くします。リベカは、このことの意味をずっと考え続けたはずです。しかし、生まれて来る双子のうち、どちらを祝福して後継者にするかはイサクの権限です。そして先に生まれた兄を長子として、祝福して後継者にするのがイサクの方針であり、イサクはそれこそが神様の意向であると確信していることも、リベカは知っています。
 ここで、一つの疑問が浮かび上がります。神様はなぜ、このことをイサクには告げず、リベカだけに告げたのでしょうか。またリベカは、神様が語ったこの言葉を、なぜ夫イサクに告げなかったのでしょうか。
 それには、もちろんそうしなければならない理由があるのです。それを解明しないかぎり、イサクとリベカの物語も、生まれて来る双子の意味も、正しく理解することができません。その「理由」とは何か。
 それはアダムとエバの罪の元がえしと、カインとアベルの罪の元がえしのためなのです。
 アブラハムとサラは、サタンに奪われたエバを無傷のまま取りかえすという、アダムとエバの罪の元がえしをした訳ですが、まだしていないことがあります。それは、神様の言葉に背いてサタン(蛇)と性交したエバが、サタンの性質と一体化したまま、アダムにも神様の言葉に背かせて性交したことの元がえしです。
 それを元がえしするためには、リベカは、夫が決定的な間違いを犯そうとしても間違いを犯させず、神様の言葉を成就させる必要がある、ということになります。
 ということは、さらに生まれて来る双子には、カインとアベルが犯した罪の元がえしをする使命があることにも、リベカは気付いたはずです。
 リベカは、夫が決定的な間違いを犯そうとしても間違いを犯させず、神様の言葉を成就させ、生まれて来る兄弟にカインとアベルの元がえしをさせ、弟に長子権を得させ、そして神様とアブラハムとの永遠の契約がその子孫たちに成就するようにするために、覚悟を固めたのです。
 どうしてリベカが、そのようなことまで考えていたと分かるのか。それは、この後のリベカの行動が裏付けています。
 
 月が満ち、リベカは双子の男児を出産しました。先に出てきた息子(兄)は全身が毛の外套を着ているような赤毛で覆われた男児で、エサウと名付けられました。
 一方、後から出てきた弟は生まれてくる時、兄のかかと(アケブ)をつかんで生まれてきたため、「ヤコブ」(かかとをつかむ者)と名付けられました。
 アケブというヘブライ語は動詞として使われたとき、「かかとをつかんで攻撃する」「出し抜く」という意味で使われます。そのためキリスト教会では、ヤコブが兄と父を出し抜いて長子権を奪ったと解釈しますが、そうではありません。

 そもそも、ヤコブがどうしてエサウのかかとをつかんで生まれてきたのかを、よく理解する必要があるのです。それは偶然ではありません。胎内でぶつかり合っていた兄弟が、月が満ちて生まれて来るちょうどその日、順番がどちらが先になるかは、どちらが先に出て来てもおかしくない状況だったということです。
 そして、出てきた日、エサウが先に出て来て、ヤコブがエサウのかかとを掴んで出てきたということは、神様がリベカに「大きい者が若い者に仕える」と語ったように、本当はヤコブが長子なのであり、エサウが胎内でヤコブを差し置いて先に出てきた、ということなのです。だからこそ、「大きい者が若い者に仕える」べきなのです。リベカは、自分の胎内でそのことを体験しており、また神様に強く求めて言葉を頂いているので、このことをはっきりと自覚しています。
 しかしまた、そのように逆転して出てきたのは、そのことにも意味があり、この兄弟にカインとアベルの罪の元がえしをさせるためなのです。 



25:27-34
 二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。
 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。
 「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。
 ヤコブは言った。
 「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」
 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。

 
ヘブライ語原典では「この若者たちが大きくなった。エサウは狩りを知っている野の男(イーシュ)となり、ヤコブは天幕に住む「全き男(潔白な人)」となった。イサクはエサウを愛した。なぜなら、イサクの口にエサウの獲物が(好物だったからである)。しかしリベカはヤコブを愛していた。さて、ヤコブは野菜スープを煮た。野からエサウが来た。エサウは疲れていた。エサウはヤコブに言った。『どうかその赤いものを、赤いものから飲ませてくれ。なぜなら私は疲れている。』 それで彼は、彼の名をエドムと呼んだ。そこでヤコブは言った。『あなたの長子相続権を今日付けで、私に売りなさい』。そこでエサウは言った。『見よ、私は死にそうだ。だから、私にとって長子相続権が、それが何だ。』 するとヤコブが言った。『今日付けで、私に誓いなさい。』 それでエサウはヤコブに誓った。こうして、エサウはヤコブに長子相続権を売った。そしてヤコブはエサウに、パンとレンズ豆の野菜スープを与えた。そしてエサウは食べて、飲んだ。そして立ち上がって行った。エサウは長子相続権を軽んじた。」です。

 エサウとヤコブは成長し、エサウは狩猟にたけた野の男となりました。ヤコブは天幕に住む全き男(潔白な人)となりました。
 「野の男」というのは、単に野で狩猟をしている男というだけでなく、野生、動物的という意味を持ち、神様の御前に完全でないという意味があります。つまり、全き男(潔白な人)ヤコブとの対比となっているのです。ヤコブが天幕に住んだのに対して、狩りをするエサウは獲物を追って野宿することが常で、獲物を狩るとイサクの元に持ち帰ったのでしょう。
 新共同訳では「ヤコブは穏やかな人」と訳されています。これはヘブライ語のタムを『穏やかな』と訳したからですが、タムを穏やかと訳す場合は、潔白であるがゆえに穏やか、という意味なのです。そういうでは不完全な訳だと言えますが、新共同訳は意図的にこう訳しています。あえてヤコブのことを「全き人(潔白な人)」と訳したくない理由があるからです。それはヤコブが後にイスラエルと名乗り、イスラエル人の祖となるからです。キリスト教は、イエス様を十字架に付けたのはイスラエル人だという理由で、イスラエル人を罪人扱いし、偏見にとらわれているのです。イエス様はこのヤコブの子孫であるにもかかわらず。
 かつて神様がアブラハムに「全き者となりなさい」(創17:1)と言われた時も“タミーム”という言葉が使われています。「ヤコブは天幕に住む全き者」となったと訳す方が適切です。
 ヤコブが天幕に住んで、その周囲で働いていたのは、一族を率いるイサクとリベカを支えていたからです。つまり一族は、エサウが狩りをしなくても十分に食べていくことができました。それを支えていたのがヤコブです。ヤコブは天幕の周りで働き、料理もしていました。

 イサクはエサウを愛しました。エサウが狩りの獲物を持ってきてくれて、イサクはそれが大好物だったからです。獲物を取ってきて、いつも自分の口を満足させてくれるエサウを気に入っていました。もちろん、イサクがエサウのことを長子だと認識していたことも、理由の一つだったでしょう。
 しかし、リベカはヤコブを愛していた、とあります。これはリベカが感情的にヤコブの方が好きだったという書き方ではありません。リベカは、神様の祝福を継承すべきヤコブを、その理由ゆえに愛していたのです。それはリベカが神様を愛していたからです。リベカは、神様に忠実な全きヤコブを愛し、ヤコブを神様の祝福を継承するに相応しく育てていたのです。

 「狩り」という行為は、神様が人に必要としたことではありません。つまり神様と縁遠いものなのです。神様に反逆して人々を扇動し、「バベルの塔のある町」を建てようとしたニムロドも狩人でした。
 しかし、イサクは大好物の獲物を持って来て食べさせてくれるエサウを気に入っていました。リベカの目には夫イサクが長子権を与えるのは、自分を満足させてくれる長男エサウだと見ていました。その状況の中、リベカは、イサクがヤコブに長子権を与えるにはどうすればいいかを、神様がリベカに語られた日から忘れたことはなかったでしょう。
 ある日、ヤコブはエサウが野の狩りから戻ってくる頃、野菜スープを煮ていました。もちろん、たまたま、そのタイミングで野菜スープを煮ていた訳ではありません。ヤコブは、エサウが野の狩りから戻ってくる頃に合わせて、野菜スープを煮ていたのです。
 野から空腹で疲れ果てて戻って来たエサウは、ヤコブに言いました。「どうかその赤いもの(アドム)を、赤いものから飲ませてくれ。なぜなら私は疲れている」。これは、赤いレンズ豆の赤いスープを食べさせてほしい、という意味ですが、同じ言葉を2度繰り返して書いてあるのは強調する意味があるからです。つまりエサウは、赤いスープが欲しくて欲しくて、たまらなかったのです。
 ヤコブは、兄エサウが、神様のことよりも自分の欲望を満たすことを優先することを知っていました。だから赤い野菜スープを出す前に、言ったのです。「あなたの長子相続権を今日付けで、私に売りなさい」。するとエサウは言います。「見よ、私は死にそうだ。だから、私にとって長子相続権が、それが何だ。」と。
 お腹が空いただけで大げさに「私は死にそうだ」と言い、野菜スープに比べて「長子相続権が何だ」と言い放つエサウ。このことだけで、エサウがアブラハムの祝福を継承する資格がないことは明白です。もしエサウが祝福を継承したら、一族はエサウの代で滅んだことでしょう。
 ヤコブはエサウに「今日付けで、私に誓いなさい。」と言います。ここでエサウが我に帰り、さすがに誓う訳にはいかないと言うならまだしも、エサウはいとも簡単に誓います。この時、エサウはヤコブに長子相続権を売ったのです。そしてヤコブはエサウに、パンとレンズ豆の野菜スープを与え、エサウは食べ飲みしました。これで契約は成立です。

 ここでいう「長子相続権」は、日本でいう家督の相続とは訳が違います。神様がアブラハムと契約した子々孫々にわたる祝福を受け継ぐのが「長子相続権」です。そのためにアブラハムがどれほどの苦労をし、サラが命がけでエバの元がえしをし、生まれたイサクを父アブラハムはあわや自分の手で殺す寸前で信仰を証しし、アブラハムの僕が進退をかけてイサクの嫁リベカを迎えに行き、そうして不妊の苦しみの末にエサウとヤコブが生まれ、アブラハム以来の「長子相続権」を受け継ぐのです。「長子相続権」を受け継いだ者は、それを子々孫々に至るまで正しく継承する責任があります。
 それを、たった一杯の野菜スープと引き換えに売り渡すエサウ。狩りに夢中だったエサウは、一族を率いる責任感もなく、長子相続権などどれほどのものか、と思っていたのです。
 また、エサウにとって「誓い」も軽いものでしか、なかったのです。「誓い」を軽んじることは、自身の言葉を軽んじることであり、神様を軽んじることでもあります。
 長子相続権を軽んじたエサウは、祖父アブラハムと神との永遠の誓約をも軽んじていたのです。

 さて、ここでエサウが赤い人だったことと、赤いもの(赤いスープ)と引き換えに長子相続権を軽んじたことは、偶然ではありません。この「赤」は後の時代には、エドムとして登場し、さらに赤い旗を掲げてイスラエルを支配するバビロンやローマへと受け継がれ、近代では神様を認めない共産主義の旗印として用いられていきます。
 そして「終わりの日」には、赤い獣にまたがっている大淫婦バビロン(紫と赤の衣を着ている)となって現れるのです。


 



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