安息日の礼拝  創世記の真相

創世記34章




34:1-4
 あるとき、レアとヤコブとの間に生まれた娘のディナが土地の娘たちに会いに出かけたが、その土地の首長であるヒビ人ハモルの息子シケムが彼女を見かけて捕え、共に寝て辱めた。シケムはヤコブの娘ディナに心を奪われ、この娘を愛し、言い寄った。更にシケムは、父ハモルに言った。「どうか、この娘と結婚させてください。」


 ヘブライ語原典では「レアがヤコブに産んだ娘ディナが、その地の娘たちを見るために出かけた。そして、その地の族長であるヒビ人ハモルの息子シケムが彼女を見た。そして彼女を捕えた。そして彼女と寝た。そして彼女を辱めた(無理強いした。強姦した)。そしてヤコブの娘ディナに彼の魂がくっついた。そして彼は娘を愛した。そして娘の心の上に話した。そしてシケムは彼の父ハモルに『この少女を私の妻として取れ(この娘を私の妻として迎え入れたい、と言って欲しい)』と言った。」です。

 ヤコブには、12人の息子たちの他に、レアが産んだディナという娘がいました。ヤコブ一族はシケムの町の族長であるヒビ人ハモルの息子たちから、町のそばの土地を購入し、住んでいました。
 ある日、娘ディナはシケムに住む娘たちを見るために、出かけました。ところが、ディナを見かけた族長ハモルの息子シケム(アラム語で蛇の意)は、ディナを捕え、無理やりに強姦しました。
 呪われたカナンの子孫であるヒビ人シケムにとって、汚れがなく清純で疑うことを知らないディナは、好ましく見え、獲物に飛び付く狩人のように強姦したのです。この行動は彼の先祖『ニムロド』を思い起こさせます。

 ヘブライ語訳原典の「彼の魂はヤコブの娘ディナにくっついた。そして彼は娘を愛した。そして娘の心の上に話した」を、新共同訳は「シケムはヤコブの娘ディナに心を奪われ、この若い娘を愛し、言い寄った」と訳していますが、「くっついた」には2つの意味があるのです。
 一つは、シケムの魂がディナに惹きつけられたという意味ですが、もう一つ、シケムがディナと肉体関係を持ったことで、シケムの魂がディナの魂に文字通りくっついたということなのです。
 神様は本来、男と女が結ばれて1つになるように創られました。1つになる、というのは2つの魂が1つの魂になるということです。堕落していない男女は、肉体同士が一つに結ばれることによって魂も1つになり、神の似姿となるのです。魂は本来、そうした性質を持っているので、肉体関係を持つことによって、魂もくっつこうとするのです。堕落人間の場合、不完全な魂同士がくっつこうとするので、ぎくしゃくしたりするわけです。
 先に肉体関係を持ち、後から情が移って惹かれ合ったり、離れられなくなるというのは、魂が持つ本来の性質によるものなのです。
 シケムはディナと肉体関係を結んだことで、魂がくっつき、ディナに惹かれるようになったのです。そしてシケムは父ハモルに、ディナを私の妻として迎え入れたいと言って欲しい、と言ったのです。



34:5-10
 ヤコブは、娘のディナが汚されたことを聞いたが、息子たちは家畜を連れて野に出ていたので、彼らが帰るまで黙っていた。シケムの父ハモルがヤコブと話し合うためにやって来たとき、ヤコブの息子たちが野から帰って来てこの事を聞き、皆、互いに嘆き、また激しく憤った。シケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルに対して恥ずべきことを行ったからである。それはしてはならないことであった。
 ハモルは彼らと話した。「息子のシケムは、あなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか、娘さんを息子の嫁にしてください。お互いに婚姻関係を結び、あなたがたの娘さんたちをわたしどもにくださり、わたしどもの娘を嫁にしてくださいませんか。そして、わたしどもと一緒に住んでください。あなたがたのための土地も十分あります。どうか、ここに移り住んで、自由に使ってください。」


 ヘブライ語原典では「ヤコブは、彼の娘ディナをシケムが汚したことを聞いた。そしてヤコブの息子たちは、ヤコブの家畜と共に野にいた。ヤコブは彼らが来るまで黙っていた。そして、シケムの父ハモルがヤコブと話すために出てきた。そしてヤコブの息子たちが野から帰り、彼らが聞いた時、その人たちは深く悲しんだ。そしてヤコブの息子たちは、大変怒った。なぜなら異邦人のシケムが、ヤコブの娘と寝ることは、イスラエルの中で恥ずべき行いだったからである。それは行ってはならないことであった。
 シケムの父ハモルは、彼らと共に話した。『私の息子シケムは、彼の魂は、あなた方の娘を切望しました。あなた方の娘を、どうか彼に妻として与えてください。そして私たちと縁組みしてください。あなた方の娘たちを、私たちにあなた方が与え、私たちの娘たちを、あなた方があなた方のために娶るのです。そして、あなた方は私たちと共に住み、そうすればこの地は、あなた方は前に十分にあるでしょう。そしてここで商売をし、その中に定住してください。』と言った。」です。

 ヤコブは娘ディナを、ヒビ人シケムが汚したことを聞きました。“汚された”と訳されているヘブライ語のティメーは、霊的に汚されたことを表す言葉です。肉体を汚されることは、同時に霊を汚されることでもあるのです。
 ヤコブがそのことを聞いたとき、ヤコブの息子たちは家畜と共に野に出ていました。ヤコブは息子たちが来るまで黙っていました。
 やがて、シケムの父ハモルが、ヤコブと話し合うために来ましたが、ヤコブの息子たちが帰って来てこのことを知り、このことを深く悲しみ、そして激怒しました。なぜなら、異邦人のシケムが、ヤコブの娘と寝ることは、イスラエルの中で恥ずべき行いだったからで、それは行ってはならないことだったからです。
 新共同訳では、イスラエルをヤコブのことだと解釈していますが、そうではありません。アブラハム・イサク・ヤコブの血統の者は、異邦人に汚されてはならないのです。肉体も魂も。シケムがしたことは、アブラハム・イサク・ヤコブが救世主誕生のために清めてきた元がえしの血統(遺伝子)を、汚す行為であって、それは許されないことでした。男が無理やり娘を犯したということだけでなく、アブラハム・イサク・ヤコブとその血統に連なる者たち全てを汚したのであり、神様を汚したのです。

 ところが、呪われたカナンの末裔ハモルとシケムには、そのことが分かりません。単に、肉体的に男が娘を無理やり強姦したのだと受け止めています。しかも、ハモルの言い分は、自分の息子の非を認めようとも、詫びようともせず、「あなたたちにとって、良い話じゃないか。土地も手に入るし、互いに娶り合って、共に繁栄しよう。」と言ってのけたのです。
 新共同訳では、そのことがまったく分かりません。これが分からないと、その後に書かれている事が理解できないのです。



34:11-17
 シケムも、ディナの父や兄弟たちに言った。「ぜひとも、よろしくお願いします。お申し出があれば何でも差し上げます。どんなに高い結納金でも贈り物でも、お望みどおりに差し上げます。ですから、ぜひあの方をわたしの妻にください。」
 しかし、シケムが妹のディナを汚したので、ヤコブの息子たちは、シケムとその父ハモルをだましてこう答えた。「割礼を受けていない男に、妹を妻として与えることはできません。そのようなことは我々の恥とするところです。ただ、次の条件がかなえられれば、あなたたちに同意しましょう。それは、あなたたちの男性が皆、割礼を受けて我々と同じようになることです。そうすれば、我々の娘たちをあなたたちに与え、あなたたちの娘を我々がめとります。そして我々は、あなたたちと一緒に住んで一つの民となります。しかし、もし割礼を受けることに同意しないなら、我々は娘を連れてここを去ることにします。」

 
ヘブライ語原典では「そしてシケムは、ディナの父と彼女の兄たちに『私はあなた方の目に恵みを見つける。私は、あなた方が申し出るだけのものを与えましょう。私に対して、結納金と贈り物を非常に多くしてください。そして私は、あなた方が私に言うとおりに、私は与えたい。だから、この少女を妻として私に与えてください。』 そこでヤコブの息子たちは、シケムと彼の父ハモルに、彼らの妹ディナを彼が汚したので、彼らは欺いて答えた。
ヤコブの息子たちは、彼らに言った。『私たちはこのこと、つまり私たちの妹を、割礼をしていない男のところに与えることはできない。なぜならそれは、私たちにとって恥だからだ。ただ、もしあなた方が私たちのように、あなた方のすべての男子が割礼を受けることで、私たちはあなた方に同意する。そうすれば、私たちは私たちの娘たちをあなた方に与えよう。そしてあなた方の娘たちを、私たちは私たちのために娶ろう。そして私たちは、あなた方と共に住もう。そして私たちは一つの民になる。しかしもし、あなた方が割礼を受けることで私たちに聞かないなら、私たちは私たちの娘を連れて行く。そして行こう。』」です。

 父ハモルの言葉に続いて、シケムもまたヤコブとディナの兄たちに、こう言います。「もし御好意を賜ることができるならば、私はあなた方が要求するだけの結納金と贈り物を贈りますから、どれほどでも言って下さい。そしてディナを妻として私に欲しい。」と。
 このシケムの言葉を聞いて、シケムが誠実な態度を表していると思う人は、富に仕えている人です。シケムは、金で解決しよう、と申し出ているのです。金で、失われたディナの肉体と魂が元に戻るでしょうか。
 このシケムの言葉は、呪われたカナンの子孫の性質を、実によく表しています。
 ここに至って、ヤコブの息子たちは、呪われたカナン人の子孫であるハモルとシケムに、何ら誠実な態度が見えず、それどころか札束で頬をはたくような態度に、彼らを欺くことにしたのです。
 ヤコブの息子たちは、彼らにこう言います。「妹ディナを割礼を受けていない人のもとに嫁がせることはできない。それは我々の中では恥ずべきことだからだ。もし、あなた方の男子すべてが割礼を受けるなら、あなた方の申し出に同意し、私たちの娘をあなた方に嫁がせ、あなた方の娘を私たちが娶ろう。もし割礼を受けることに同意しないならば、ディナを連れ帰る」と。



34:18-24
 ハモルとその息子シケムは、この条件なら受け入れてもよいと思った。とくにシケムは、ヤコブの娘を愛していたので、ためらわず実行することにした。彼は、ハモル家の中では最も尊敬されていた。ハモルと息子シケムは、町の門のところへ行き町の人々に提案した。
 「あの人たちは、我々と仲良くやっていける人たちだ。彼らをここに住まわせ、この土地を自由に使ってもらうことにしようではないか。土地はご覧のとおり十分広いから、彼らが来ても大丈夫だ。そして、彼らの娘たちを我々の嫁として迎え、我々の娘たちを彼らに与えようではないか。ただ、次の条件がかなえられれば、あの人たちは我々と一緒に住み、一つの民となることに同意するというのだ。それは、彼らが割礼を受けているように、我々も男性は皆、割礼を受けることだ。そうすれば、彼らの家畜の群れも財産も動物もみな、我々のものいなるではないか。それには、ただ、彼らの条件に同意さえすれば、彼らは我々と一緒に住むことができるのだ。」
 町の門のところに集まっていた人々は皆、ハモルと息子シケムの提案を受け入れた。町の門のところに集まっていた男性はこうして、すべて割礼を受けた。


 ヘブライ語原典では「彼らの言葉は、ハモルの目と、ハモルの息子シケムの目にとって、良かった。そして若者は、このことを行うことに遅くなかった。なぜならヤコブの娘を欲していたからである。またシケムは、彼の父の家の誰よりも尊敬されていた。そしてハモルは、彼の息子シケムと彼らの町の門に来た。そして彼らの町の人々に言って、話した。『これらの人々、彼らは私たちと仲良くやっていける人々だ。そして彼らはこの地で住む。そしてそこで商売する。そして見よ、彼らの前にこの地は両手を広げられるほど広い。彼らの娘たちを、私たちのために妻として私たちは娶り、そして私たちの娘たちを彼らに与えよう。ただ、この人々は私たちと共に住み、一つの民になることに同意するには、私たちのすべての男子が彼らがそうであるように、割礼を受けていることが必要だ。彼らの家畜と彼らの財産のすべては、私たちのものではないか。ただ、私たちは彼らに同意しよう。そして彼らは私たちと共に住む』。彼らは、ハモルと彼の息子シケムの話を聞いて。彼の町の門を出る者たちのすべての者が、割礼を受けた。すべての男子は、彼の町の門を出るすべての者たちであった。」です。


 
ヤコブの息子たちの申し出に、ハモルとシケムは「してやったり」と満足し、シケムはすぐに割礼をしました。シケムにとっては何ということもない、ただ包皮の皮を切るだけの行為にすぎず、それでディナのみならずヤコブとその息子たちのすべての財産を手に入れることができる、と思ったのです。 シケムは、呪われたカナンの末裔ヒビ族の族長の子らの中で、最も尊敬されていました。それでハモルは息子シケムと共に、町の門に集まる人々に次のように話しました。
「ヤコブとその一族の者たちは、我らと仲良くやっていける人々だ。彼らをこの地に住まわせ、商売させよう。彼らにとって、この地は広い。彼らの娘たちを、私たちのために妻として娶り、私たちの娘たちを彼らに与えよう。ただ、この人々が私たちと共に住み、一つの民になることに同意するには、私たちのすべての男子が、彼らのように割礼を受けていることが必要だ。彼らのすべての家畜と彼らの財産は私たちのものだ。私たちは彼らに同意しよう。そして彼らは私たちと共に住む」と。
 そうです。「彼らのすべての家畜と彼らの財産は、私たちのものだ」というのが、ハモルとシケムの本音だったのです。呪われたカナンの末裔ヒビ人たちのすべての男たちは、割礼しました。
 つまり彼らは、ヤコブ一族とそのすべての財産を自分たちのものにするために、形だけの割礼をすることにしたのです。



34:25-31
 三日目になって、男たちがまだ傷の痛みに苦しんでいたとき、ヤコブの二人の息子、つまりディナの兄のシメオンとレビは、めいめい剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺した。ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出した。ヤコブの息子たちは、倒れている者たちに襲いかかり、更に町中を略奪した。自分たちの妹を汚したからである。そして、羊や牛やろばなど、町の中のものも野にあるものも奪い取り、家の中にあるものもみな奪い、女も子供もすべて捕虜にした。
 「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」とヤコブがシメオンとレビに言うと、二人はこう言い返した。
 「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか。」

 
ヘブライ語原典では「そして第3の日になった。彼らが痛んでいる時、ヤコブの2人の息子であり、ディナの兄たちであるシメオンとレビが、それぞれ彼の剣をとった。そして彼らは、その町の上に静かに来て、無事にすべての男子を殺した。ハモルと彼の息子シケムも、剣の刃によって殺し、シケムの家からディナを連れて出た。ヤコブの息子たちは、戦死者たちの上に来て、その町を略奪した。彼らが彼らの妹を汚したからである。そして彼らの羊の群れと彼らの牛や彼らのロバたちも、町にある物も、野にある物も、彼らは奪った。そして彼らのすべての富と彼らの幼子のすべてと、彼らの妻たちを、彼らは捕虜にし、その家の中にあるすべてを略奪した。ヤコブはシメオンとレビに言った。『あなた方は、私をかき乱す。この地に住むカナン人とペリジ人に、この地に住む者の中で、私に悪臭を出させた(私を鼻つまみ者にした)。私たちには男子は少なく、彼らが私に対して集まり、私を撃つなら、私と私の家は根絶される』。しかしシメオンとレビは言った。『私たちの妹を彼らに遊女のようにさせると言うのですか』と。」です。

 3日目になって、ヒビ人の男子たちが割礼の痛みに苦しんでいるときに、ヤコブの2人の息子であり、ディナの兄でもあるシメオンとレビは、それぞれ剣をとりました。そしてヒビ人たちの町に音もなく近づいて、割礼の痛みに苦しんでいる男たちを剣で殺し、ハモルと息子シケムも殺し、シケムの家から妹ディナを連れ出しました。
 さらに、殺されて倒れた者たちの町から略奪し、彼らの家畜も何もかもを奪い、幼子たちや妻たちを捕虜にし、家の中にあるすべてを略奪したのです。
 これを知ったヤコブは、シメオンとレビに言いました。「あなた方は、私をかき乱す。この地に住む者たちにとって、私を鼻つまみ者にした。私たちには男子は少なく、彼らが私に対して集まり、私を撃つなら、私と私の家は根絶される」と。
 このことは、ヤコブには、シメオンとレビがしたこととは別の考えがあったことを示しています。そして、シメオンとレビは、父ヤコブがなそうとしていることとは違うことをしようとしたからこそ、2人でこっそりとヒビ人の町に入って殺戮と略奪をしたのです。そうしなければ、シメオンとレビは気が済まなかったのです。
 だからシメオンとレビは、ヤコブに「私たちの妹を彼らに遊女のようにさせると言うのですか」と言ったのです。シメオンとレビは、怒りの感情に任せて、ヤコブがなそうとしていたことを台無しにしました。それだけでなく、多くの敵を作ってしまったのです。愚かな行為でした。怒りから正しいものは生まれません。殺戮は殺戮をうむだけです。
 怒りのままに殺人すること、略奪することは、神様は呪われることです。このシメオンとレビの「怒りの感情による過ち」は、彼らの子孫にも継承されていきます。
  
 キリスト教会では、ここでヤコブが語った言葉について、ヤコブが自分の保身に汲々としているように解釈する向きもあります。そうではなく、ヤコブには別の考え(知恵)があったのです。
 シメオンとレビの浅はかな行為のため、ヤコブが何を考え、実行しようとしていたかは定かではありません。しかし、それを想像することはできます。
 神様はアブラハムに、割礼を契約の証しとして命じられた際、アブラハムに属する者たちは、アブラハムの血族だけでなく、異邦人であっても割礼を施すことを命じられました。それによって、割礼を受けた異邦人は異邦人ではなくなり、「アブラハムに属する者」となり、アブラハムの祝福に預かることができるのです。
 それはヒビ人のハモルとその息子シケムも、例外ではありません。ただ、ハモルと息子シケムをはじめヒビ人たちは、ディナにことについて詫びるでもなく、金で解決しようとし、あげくの果てには「アブラハムに属する者」たちも、その家畜や財産も、自分のものにしようと考えていたのですから、解決しようと持ち出したお金の話も、結局は自分たちに戻ってくると分かった上で持ち出している話なのです。

 このような欺くヒビ人たちに、ヤコブの息子たちは欺きを返し、割礼をさせました。しかしそれは、割礼で痛むヒビ人たちを襲うためではありません。もしそうなら、シメオンとレビが抜け駆けして殺戮するのではなく、息子たち皆がそうしていたはずです。
 では、ヤコブの息子たちの「欺きの割礼」とは、何なのでしょうか。
 割礼をした者は「アブラハムに属する者」とみなされます。「アブラハムに属する者」には、世の法ではなく神様の法が適用されます。神様の法が適用されるとどうなるか。神様の法に従わない者は、自分で滅ぶのです。ディナのことについても、ハモルやシケムは神様の法にのっとって義しくふるまわなければ、滅びます。
 そして、ハモルやシケムはじめヒビ人たちは、ヤコブと息子たちを欺いているのですから、割礼をうけることによって、ヤコブと息子たちを欺いた罪は、ハモルやシケムはじめヒビ人たちに臨みます。
 ところが、シメオンとレビは、割礼をそのようには使わず、割礼による肉体の痛みにつけ込んで、自分たちの手によって殺戮行為に及びます。シメオンとレビは、神様の神聖な割礼を利用して血を流したことになります。そのため、その報いはシメオンとレビに臨むことになります。
 また、シメオンとレビがそのような殺戮行為をしたことにより、ヤコブと息子たちは神様が与えると言われたこの地で、鼻つまみ者になってしまうので、ヤコブは落胆したのです。
 ヤコブに対して、シメオンとレビは「私たちの妹を彼らに遊女のようにさせると言うのですか」と言いましたが、彼らを殺したところでディナの恥はすすがれません。ディナの恥をすすぐためにも、彼らにはそれ相当のことをさせなければならなかったのです。
 殺戮は何も解決しませんし、血を流すことは神様が最も忌み嫌われることです。
 



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