36:1-8 エサウ、すなわちエドムの系図は次のとおりである。エサウは、カナンの娘たちの中から妻を迎えた。ヘト人エロンの娘アダ、ヒビ人ツィブオンの孫娘でアナの娘オホリバマ、それに、ネバヨトの姉妹でイシュマエルの娘バセマトである。アダは、エサウとの間にエリファズを産み、バセマトはレウエルを産んだ。オホリバマは、エウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらは、カナン地方で生まれたエサウの息子たちである。 エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れてほかの土地へ出て言った。彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。 ヘブライ語原典では「そしてこれがエサウ、エドムでもある彼の系図である。エサウはカナンの娘たちの中から彼の妻たちをめとった。ヘト人エロンの娘アダと、ヒビ人ツィブオンの娘アナ、そしてネバヨトの姉妹イシュマエルの娘バセマトである。アダがエサウにエリファズを、そしてバセマトはレウエルを産んだ。そしてオホリバマはエウシュとヤラムと子らを、これらはカナンの地で生まれたエサウの息子たちである。エサウは彼の妻たちと彼の息子たち、娘たち、すべての彼の家の人々と彼の持ち物、すべての彼の家畜とすべての彼の財産、そしてカナンの地で手に入れた彼の財産のすべてを携え、彼の弟ヤコブの前から出て行った。なぜなら、彼らの所有物が一緒に住むには多く、彼らの家畜のゆえに、彼らの寄留地の地は彼らを支えることが出来なかったからである。それでエサウはセイルの山に住んだ。エサウはすなわちエドム人(族)である」です。 ここにはエサウを先祖とするエドム族の系図が記されています。 エドムというのは「赤い」を意味し、エサウが赤いもの(エドム)と引き換えに長子権を売ったことが語源です。 エサウは、カナンの地で妻に迎えました。ヘト人エロンの娘アダ。ヘトはノアの子カナンの子でヘブロンの先住民でもあり、アブラハムはヘト人からマクベラの洞穴を法外な値で購入しています。 エサウは次に、セイルの先住民であるヒビ人ツィブオンの孫娘オホリバマを娶りました。そして3人目がイシュマエルの娘バセマトです。 エサウは彼の妻たちと彼の息子たち、娘たち、すべての彼の家の人々と彼の持ち物、すべての彼の家畜とすべての彼の財産、そしてカナンの地で手に入れた彼の財産のすべてを携えて、彼の弟ヤコブの所から出て行きました。その理由について「彼らの所有物が一緒に住むには多く、彼らの家畜のゆえに、彼らの寄留地の地は彼らを支えることが出来なかったからである」と書かれていますが、所有物が多いことが理由ならヤコブが出て行ってもいいことになります。 しかし出て行ったのはエサウでした。このことは、アブラハム・イサクの後を継いだのはヤコブであり、それも平和理に後を継ぎ、エサウがそこを出て行ったことを意味しています。 こうしてエサウは、セイルの山に住みました。セイルとは「毛皮のよう」という意味で、エサウがここに住んだので、そう呼ばれるようになりました。そして、このセイルの山は赤土の山なのです。 セイルの山に住んだエサウの子孫たちは、「赤いもの」を意味するエドム人(族)と呼ばれるようになりました。 エサウの子孫たちは、後に王国を作ります。ヨルダンのペトラ遺跡を作ったのも彼らだとの説がありますが、ペトラ近辺は土が赤いことでも有名です。彼らはまた、バビロニアに属してイスラエルに攻め込んだり、イドマヤ人としてギリシャに属したりしますが、結局はバビロニアやギリシャに利用されただけでした。 神様はエドムに、預言者を通して何度も警告しましたが、エドムは聞き入れようとしませんでした。 エドム人の中には、ユダヤ人としてイスラエルに住みついた人も多くいます。彼らはイスラエルにカナンの偶像崇拝や商売を持ち込み、そのことも神様は何度も警告されました。 36:9-14 セイルの山地に住む、エドム人の先祖エサウの系図は次のとおりである。まず、エサウの息子たちの名前を上げると、エリファズはエサウの妻アダの子で、レウエルはエサウの妻バセマトの子である。エリファズの息子たちは、テマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。エサウの息子エリファズの側女ティムナは、エリファズとの間にアマレクを産んだ。以上が、エサウの妻アダの子孫である。 レウエルの息子たちは、ナハト、ゼラ、シャンマ、ミザである。以上が、エサウの妻バセマトの子孫である。 ツィブオンの孫娘で、アナの娘であるエサウの妻オホリバマの息子たちは、次のとおりである。彼女はエサウとの間にエウシュ、ヤラム、コラを産んだ。 ヘブライ語原典では「これがセイルの山に住むエサウを先祖とするエドムの系図である。これがエサウの息子たちの名前である。エリファズはエサウの妻アダの息子である。レウエルはエサウの妻バセマトの息子である。 そしてエリファズの息子たちはテマン、オマル、ツェフォとガダムとケナズである。 そしてティムナはエサウの息子エリファズのそばめであった。彼女はエリファズにアマレクを産んだ。これらがエサウの妻アダの息子たちである。レウエルの息子たちはナハト、ゼラとシャマンとミザである。これらはエサウの妻バセマトの息子たちである。そしてこれらはツィブオンの娘アナの娘オホリバマの息子たちである。彼女はエサウに、エウシュとヤラムとコラを産んだ」です。 これがセイル山地に移り住んだエサウを先祖とするエドム族の系図です。エドム、セイルのことは後に度々、聖書に出て来るようになりますが、ここで特筆すべきことはありません。 36:15-19 エサウの子孫である首長は次のとおりである。まず、エサウの長男エリファズの息子たちについていえば、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらは、エドム地方に住むエリファズ系の首長で、アダの子孫である。 次に、エサウの子レウエルの息子について言えば、首長ナハト、首長ゼラ、首長シャンマ、首長ミザである。これらは、エドム地方に住むレウエル系の首長で、エサウの妻バセマトの子孫である。エサウの妻オホリバマの息子たちについて言えば、首長エウシュ、首長ヤラム、首長コラである。これらは、アナの娘であるエサウの妻オホリバマから生まれた首長である。以上が、エサウ、すなわちエドムの子孫である首長たちである。 ヘブライ語原典では「これらはエサウの息子たちである族長である。エサウの長男エリファズの息子たちについて、族長のテマン、族長オマル、族長ツェフォ、族長ケナズ、族長コラ、族長ガタム、族長アマレク。これらはエドムの息子エフルファズの族長たちで、アダの息子たちでもある。 そしてこれらがエサウの息子レウエルの息子たちで、ナハト族長、ゼラ族長、シャンマ族長、ミザ族長。これらはエドムの地のレウエルの族長たちである。これらはエサウの妻バセマトの息子たちである。 そしてこれらはエサウの妻オホリバマの息子たちである。エウシュの族長、ヤラムの族長、コラの族長、これらはエサウの妻アナの娘オホリバマの族長たちである」です。 エサウの子孫で、族長になった者たちの名が記されています。これも特筆すべきことは何もありません。 36:20-30 この土地に住むフリ人セイルの息子たちは、ロタン、ショバル、ツィブオン、アナ、デョン、エツェルディシャンである。これらは、エドム地方に住むセイルの息子で、フリ人の首長たちである。 ロタンの息子たちは、ホリとヘマムであり、ロタンの妹がティムナである。ショバルの息子たちは、アルワン、マナハト、エバル、シェフォ、オナムである。 ツィブオンの息子たちは、アヤとアナである。アナは父ツィブオンのろばを飼っていたとき、荒れ野で泉を発見した人である。 アナの子供たちは、ディションとアナの娘オホリバマである。ディションの息子たちは、ヘムダン、エシュバン、イトラン、ケランである。 フリ人の首長は次のとおりである。首長ロタン、首長ショバル、首長ツィブオン、首長アナ、首長ディション、首長エツェル、首長ディシャン。以上がフリ人の首長であり、セイル地方に住むそれぞれの首長であった。 ヘブライ語原典では「これらがこの地に住んでいた人たちホリ人(=フリ人)ロタンとショバルとツィブオンとアナ、そしてディションとエツェルとディシャン、これらはエドムの地に(住む)セイルの息子たち、ホリ人の族長たちである。 ロタンの息子たちはホリとヘマム、そして姉妹はロタンとティムナ。そしてこれらがショバルの息子たちでアルワンとマナハトとエバル、シェフォトオナムである。 そしてこれらがツィブオンの息子たちで、アヤとアナである。アナは彼の父ツィブオンのろばたちを飼っていた時、荒れ野で泉を見つけた。 そしてこれらがアナの息子たちである。ディションとアナの娘オホリバマである。 これらがディションの息子たちで、ヘムダンとエシュバン、イトランとケランである。 これらがエツェルの息子たちである。ビルハンとザワンとアカンである。 そしてこれらはディシャンの息子たちでウツとアランである。 これらはホリ人の族長である。ロタンの族長、ショバルの族長、ツィブオンの族長、アナの族長、ディションの族長、エツェルの族長、ディシャンの族長である。これらはセイルの地でホリ人の族長たちである」です。 エサウがセイルの山地に移住した時、先住民としてホリ人(新共同訳ではフリ人)がいました。アブラハムの時代にも、セイルにはホリ人が住んでいたことが記されていました。 「セイルの山地でフリ人を撃ち、荒れ野に誓いエル・パランまで進んだ」(創14:6) ホリ人の長男ロタンの娘ティムナをエサウの息子エリファズは側女として迎え、アマレクが生まれ、エサウの系図に記されたのです。またエサウはホリ人ツィブオンの孫娘オホリバマを娶り、エウシュ、ヤラム、コラを生みました。彼らもまたエサウの一族となりました。 これらも特筆すべきことは何もないのですが、エサウの子孫たちの名を頭に入れておくと、後に聖書に出て来る人物たちを理解する上で、助けになります。 36:31-39 イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドム地方を治めていた王たちは次のとおりである。エドムで治めていたのは、ベオルの息子ベラであり、その町の名はディンハバといった。ベラが死んで、代わりに王となったのは、ボツラ出身でゼラの息子ヨバブである。ヨバブが死んで、代わりに王となったのは、テマン人の土地から出たフシャムである。フシャムが死んで代わりに王となったのは、ベダドの息子ハダドであり、モアブの野でミディアン人を撃退した人である。その町の名はアビトといった。 ハダドが死んで代わりに王となったのは、マスレカ出身のサムラである。サムラが死んで代わりに王となったのは、ユーフラテス河のレホボト出身のシャウルである。シャウルが死んで、代わりに王となったのは、アクボルの息子バアル・ハナンである。アクボルの息子バアル・ハナンが死んで代わりに王となったのは、ハダドである。その町の名はバウといい、その妻の名はメヘタブエルといった。彼女はマトレドの娘で、メ・ザハブの孫娘である。 ヘブライ語原典では「そしてこれらはイスラエルの息子たちの王が治める前に、エドムの地を治めた王たちである。ベオルの息子ベラがエドムを治めた。そして彼の町の名はディンハバであった。そしてベラが死んだ。そして彼に代わって、ボツラ出身のゼラの息子ヨバブが王になった。ヨバブが死んだ。そしてテマン人の地出身のフシャムが彼の代わりに王になった。フシャムが死んだ。そして、モアブの野でミディヤンを撃ったベダドの息子ハダドが彼に代わって王となった。そして彼の町の名前はアビトである。ハダドが死んだ。そしてマスレカ出身のサムラが彼に代わって王となった。そしてサムラが死んだ。そしてかの川のレホボト出身のシャウルが彼に代わって王となった。シャウルが死んだ。そしてアクボルの息子バアル・ハナンが彼に代わって王となった。バアル・ハナンが死んだ。ハダルが彼に代わって王になった。そして彼の町の名前はバウであった。そして彼の妻の名前はメヘタブエルと言った。メ・ザハブの息子マトレドの娘であった。そしてこれらが、彼の氏族ごとのエサウの族長たちの名前である。彼らの場所ごとに彼らの名の中でティムナ族長、アルワ族長、エテト族長、オホリバマ族長、エラ族長、ビノン族長、ケナズ族長、テマン族長、ミブツァル族長、マグディエル族長、イラム族長で、これらは彼の居住地を所領地ごとに記したエドムの族長たちの名である。エサウはエドム人の先祖である」です。 エドム人たちは、イスラエルが王を立てるより前に、王制を敷き、王による統治をしました。 このことは後のイスラエルにとって迷いとなります。イスラエルにとっての王は主なる神様であり、人間の王は必要ではないはずでした。ところが、周辺の国々を見て、王を求める声がイスラエルの人々の中から挙がるようになり、神様は彼らの声に対して王(ベニヤミン族のサウル)を立てるのですが、それは良いことではありませんでした。 サウル王とイスラエルの民は、無用の闘いに明け暮れ、ダビデの登場まで苦難の日々を過ごすことになるのです。 36:40-42 エサウ系の首長たちの名前を氏族と場所の名に従ってあげれば、首長ティムナ、首長アウワ、首長エテト、首長オホリバマ、首長エラ、首長ビノン、首長ケナズ、首長テマン、首長ミブツァル、首長マグディエル、首長イラムである。以上がエドムの首長であって、彼らが所有した領地に従って挙げたものである。エサウは、エドム人の先祖である。 ヘブライ語原典では「そしてこれらがエサウの族長たちの名前と氏族ごと、場所ごとの族長の名は、ティムナ族長、アルワ族長、エテト族長、オホリバマ族長、エラ族長、ビノン族長、ケナズ族長、テマン族長、ミブツァル族長、マグディエル族長、イラム族長、これらはエドムの族長たちである。彼らは居住した所領地ごとに記されたものである。エサウはエドム人の先祖である」です。 エサウとヤコブは、母リベカの一つの胎から生まれた双子の兄弟です。主はリベカに次のように言われました。 二つの国民があなたの胎内に宿っており 二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり 兄が弟に仕えるようになる。」(創25:23) エサウの子孫たちは増え、やがてエドムの領地は、死海の南からアカバに至る地域を領土とするようになります。アカバの原意は「赤い土地」です。赤い砂岩に由来しています。別名「セイル地方」と呼ばれるこの地域は、砂漠からペリシテ平野やエジプトにいたる通商路にあたると同時に、銅や鉄を産出したため、後のイスラエルの王ソロモンはエドムを重要視し、ついには隷属させることになります(サムエル上8:14)。そしてソロモンと、同盟者であるティルスのフラムは、エドムの地の「葦の海」の海岸にあるエイラトの近く、エツヨン・ゲベルで船団を編成しました(列王上9:26)。 このエイラトにエドム人が住み着き、今日にまで至っています。 エドムという地名は、新約時代に公用語がギリシャ語になったことによって“イドマヤ”となります。新約聖書にイドマヤと記されているのは“エドム”のことです。ローマ時代、カエサルの支持を取り付けたイドマヤ人アンティパテル2世は行政長官としてユダヤ、サマリヤ、ガリラヤを統治します。イドマヤ人アンティパテル2世の息子が、ローマによってユダヤの王に任じられた“ヘロデ大王”です。つまりヘロデ王は、エドム人なのです。 |