安息日の礼拝  創世記の真相

創世記38章




38:1
 そのころ、ユダは兄弟たちと別れて、アドラム人でヒラという人の近くに天幕を張った。ユダはそこで、カナン人のシュアという人の娘を見初めて結婚し、彼女のところに入った。彼女は身ごもり男の子を生んだ。ユダはその子をエルと名付けた。彼女はまた身ごもり男の子を生み、その子をオナンと名付けた。彼女は更にまた男の子を生み、その子をシェラと名付けた。彼女がシェラを生んだとき、ユダはケジプにいた。

 ヘブライ語原典では「そしてその時であった。ユダが彼の兄弟たちから下った。そして、その名をヒラというアドラム人の人の所まで(来て、天幕を)張った。
 ユダはそこで、名をシュアというカナン人の人の娘を見た。そして彼は、彼女をめとった。そして彼女の所に入った。彼女は妊娠し息子を生んだ。彼は彼の名をエルと呼んだ。彼女は更に妊娠し、息子を生んだ。彼の名をオナンと呼んだ。更に彼女は加えた(妊娠した)。そして息子を生んだ。彼の名をシェラと呼んだ。彼女がシェラを産んだ時、ユダはケジブにいた。」です。

 ユダはレアの子で、イスラエルの4男です。彼の兄たちは、ラケルの長男ヨセフ(11男)を穴に落としましたが、ヨセフはミディアン人の商人たちによってエジプト王の侍従長ポティファルに売られて行きました。
 その頃の出来事です。ユダは、それまで行動を共にしてきた兄たちと別れました。兄たちと別れたことには大きな意味があることが、この後に記されています。
 ユダは、エルサレムの南西にあるアドラムに行き、身分の高いヒラというアドラム人の領地の近くに天幕を張り、そこでカナン人シュアの娘を娶りました。彼女はユダとの間にエル(目覚めるの意)、オナン(強いの意)、シェラ(静かの意)の3人の息子を産みました。シェラが生まれた頃、ユダはケジブ(=アグジブ)にいました。



38:6
 ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った。
 「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」
 オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。
 ユダは嫁のタマルに言った。
 「わたしの息子シェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」
 それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。

 
 ヘブライ語原典では「ユダは彼の長子エルに妻をめとった。彼女の名はタマルであった。しかし、ユダの長子エルは主の目に悪を行ったので、主は彼を殺した。ユダはオナンに言った。『あなたの兄の妻の所に入れ。そして彼女を嫁とせよ。そしてあなたの兄のために子孫を起こせ』。しかしオナンは、その子孫が彼のものにならないであろうことを知っていた。そして彼の兄弟の妻の所に入った場合、彼の兄に子孫(種、精子)を与えないために地の方に流した。彼が行ったことは主の目には悪かった。それで主は、彼もまた殺された。
 ユダは彼の嫁タマルに言った。『私の息子シェラが大きくなるまで、あなたの父の家に(戻り)、やもめとして座れ。なぜなら彼の兄弟のように、シェラもまた死ぬといけないからだ』。そしてタマルは行って、彼女の父の家に住んだ」です。

 ユダはカナン人シュアとの間の長男エルに、タマル(なつめやしの実の意)という嫁を迎えました。タマルの出身について聖書は記していません。
 エルは悪を行ったために、主は彼を殺しました。エルが行った悪についても聖書は何も記していませんが、死に値いする罪であったことは間違いありません。
 長男エルが亡くなったため、ユダは次男のオナンに、タマルと床を共にして嫁として迎えて兄のために子孫を起こせ、と言います。亡くなった兄弟の子供をもうけることについて、申命記は次のように記しています。

「兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。」(申25:5-6)

 しかし、次男オナンは兄の妻だったタマルとの間に生まれる子孫は自分のものにならないことを知っていたので、子孫を与えないために、子種を地の方に流しました。
 「与えないために」と訳しているヘブライ語の「レヴィルティ ネント」は、「それでいつもそうであった」とも解することができ、オナンはタマルを単に性欲のはけ口のように扱い、永遠に子を宿させないようにしていたと解せます。
 しかし神様は、アブラハム・イサク・ヤコブに約束した「祝福の子」を、ユダの血統とタマルの間に生まれる子孫に与えるご計画でした。すでに見てきたように、イスラエルの長男ルベンは父の床を汚して長子の資格を失い、シメオンとレビも割礼を利用した殺戮行為でその資格を失っていました。では、その資格は誰が受け継ぐのでしょうか。ユダです。
 
 ユダが兄弟たちと別れたのは、おそらくヤコブからあの「杖」=王笏を受け継いだからです。それはイスラエルの王を意味し、長子権の継承を意味する杖でした。
 しかし長子権を受け継ぐとみられたヨセフは、兄弟たちにどのようにされたでしょうか。そのことを考えると、ユダも兄弟たちに殺されかねなかったのです。だからこそユダは、兄弟たちと別れたのではないでしょうか。また、イスラエル(ヤコブ)も、ユダが殺されないために、そうさせたとも考えられます。
 そうであれば、ユダの子孫からイスラエルの王が出て、更には救世主が出るのです。そして、それを生む女性は誰でもいいわけではありません。アブラハムにとってのサラのような女性、イサクにとってのリベカのような女性でなければならないのです。
 それがタマルでした。タマルが、どうしてそのような女性だと言えるのかは、この後の彼女の行動によって分かります。キリスト教会では、タマルは姦淫の女のような扱いを受けていますが、タマルは姦淫などしていません。 それどころかタマルは、未来にイスラエルの王、救世主を出す子孫を得るため、命がけの行動を起こすのです。それに対してオナンが行った行為は、救世主を冒涜し、神様を冒涜し、アブラハム・イサク・ヤコブをはじめとする先祖たちを冒涜し、タマルを冒涜する行為でした。だからこそ死に値したのです。
 キリスト教会は、このオナンの行為を、神様が自慰行為を禁じておられる根拠などと、低レベルな解釈をしてきました。そんな次元の話ではないのです。

 さてユダは、「3男シェラが成人するまで実家に戻り、やもめとしての生活を送っているように」とタマルに言います。シェラが成人するまで、という理由は、タマルが実家に戻らなければならない理由になっていません。タマルはユダの家の嫁なのですから。
 つまりユダは、シェラが成人するとタマルを娶る必要があり、そうなるとシェラもまた死ぬのではないかと思い、それを避けるためにタマルを実家に戻したのです。
 しかし神様のご計画を、人が曲げることはできません。神様はヤコブに言われました。

「わたしは全能の神である。産めよ、植えよ。あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり あなたの腰から王たちが出る。わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を あなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」(創35:11-12)



38:12
 かなりの年月があって、シェアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナへやって来ます」と知らせたので、タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。
 ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。
 「わたしの所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。
 「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」
 「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」
 ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。

 
ヘブライ語原典では「さて日々が増して(多くの日々が過ぎ去って)、ユダの妻であったシェアの娘が死んだ。ユダは慰められた。そしてユダは、アドラム人の友人ヒラと共に、彼の羊の群れの毛を刈る者たちのかたわらであるティムナの方へ上った。そしてタマルに『見よ、あなたの義父が彼の羊の群れの毛を刈るためにティムナの方へ上っている』と告げられた。彼女は彼女の上から、やもめの衣服を取り去り、ベールで覆い、変装した。そして、ティムナの方角の道沿いにあるエナイムの入り口に座った。なぜなら、彼女はシェラが大きくなったことを見たのに、シェラに妻として与えられなかったからである。そしてユダが彼女を見た。そして彼女を遊女と思った。なぜなら、彼女が彼女の顔を覆っていたからである。そして彼は、彼女に向かって、その道に向かって、横にそれた。そして言った。『さあ、どうか私をあなたの所に入らせてくれ』。なぜなら彼は、彼女が彼の嫁であることを知らなかった。そこで彼女は言った。『あなたが私の所に入る時に、あなたは私に何を与えられるでしょうか』。ユダは言った。『私は羊の群れから子山羊を送ろう』。そこで彼女は言った。『あなたが(子山羊を)送られるまで、あなたは保証の品を私に与えてください』。彼は言った。『私があなたに与える保証の品は何か』。そこで彼女は言った。『あなたの印章とあなたの(印形の中に通した)紐、そしてあなたの手の中にあるあなたの杖です』。そこで彼は彼女に与え、彼は彼女の所に入った。そして彼女はユダによって妊娠した。そして彼女は立ち上がって行った。彼女は彼女の上からベールをはずした。そして彼女のやもめの服を着た。」です。

 
タマルが実家に戻ってから、かなりの年月がたって、ユダの妻が亡くなりました。その後、新共同訳では「ユダは喪に服した後」と書かれていますがヘブライ語訳では「ユダは慰められた」とあります。これはユダのカナン人妻との結婚生活に、慰めがなかったとも解釈できます。
 ユダは独身の身となり、アドラム人の友人ヒラと共に、彼の羊の毛を刈るためにヘブロンの南方ティムナ(ベツレヘムから西に15キロ、アドラムから約5,6キロの所)に行くことになりました。
 この後、を新共同訳は「ある人がタマルに『あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナへやって来ます』と知らせた」と訳していますが、ヘブライ語原典に「ある人」は登場しませんし、ある人がタマル知らせたのでもありません。ヘブライ語原典に書かれているのは「そしてタマルに『見よ、あなたの義父が彼の羊の群れの毛を刈るためにティムナの方へ上っている』と告げられた。」です。
 これは明らかに、神様もしくは御使いによってタマルにそのことが告げられたことを意味します。
 
 神様もしくは御使いがタマルに、「見よ、あなたの義父が彼の羊の群れの毛を刈るためにティムナの方へ上っている」と告げたことで、タマルは自分がすべきことを悟ります。

 タマルはベールで覆って変装し、ティムナの方角の道沿いにあるエナイムの入り口に座ります。そしてユダが彼女を見て、顔を覆っていた彼女を遊女だと思い、彼女の所に入ろうとします。タマルは「あなたが私の所に入る時に、あなたは私に何を与えられるでしょうか」と言い、ユダは「私は羊の群れから子山羊を送ろう」と言います。そこでタマルは「あなたが(子山羊を)送られるまで、あなたは保証の品を私に与えてください」と。ユダが「私があなたに与える保証の品は何か」と言うと、タマルは「あなたの印章とあなたの(印形の中に通した)紐、そしてあなたの手の中にあるあなたの杖です」と言い、ユダはタマルにそれを与え、タマルの所に入り、タマルはユダの子を宿すのです。

 この話を、文字どおりに読んで、何の違和感も感じないでしょうか。
 ユダは、どうしてイスラエルの王の持ち物である「印章と紐と杖」をそこに持っていったのでしょうか。タマルは、なぜそれを保証として求めたのでしょうか。ユダがタマルを遊女だと思っていたとしたら、なぜただ一夜を共にするために命よりも大事であるはずの「印章と紐と杖」を渡したのでしょうか。ユダが子山羊を連れて来るまでの間に遊女がそれを持っていなくなったら、どうするつもりだったのでしょうか。
 よく考えて欲しいのですが、王が、遊女と一夜を共にするために「印章と紐と杖」を預けるか、という話なのです。
 また、タマルはこれと同じことを、どうしてシェラにしなかったのでしょうか。むしろ、シェラがタマルを嫁にすべき立場だったのですから、シェラに対してこれと同じことをしたのであれば、話として筋が通るのです。
 しかし「その声」はタマルに、ユダがティムナの方へ行くことを告げ、タマルはユダの子を宿すべきであると悟ったのです。
 なぜか。シェラはユダとカナン人の妻との間の子です。それは神様がご計画されたイスラエルの血統ではなく、救世主が生まれる血統でもありませんでした。
 タマルは、ユダの妻となるべき女性だった、ということです。
 しかしユダはカナン人を妻にしてしまい、タマルを息子の嫁にしてしまった。それはアブラハムがサラの側女ハガルの所に入ったのと同じく、無用なことだったはずです。しかし時を経て、ユダはタマルとの間に、神様がご計画された子を宿しました。

 キリスト教会では、タマルが遊女に変装してユダを欺いたと解釈し、姦淫の女のようにタマルを蔑(さげす)みます。タマルが姦淫の女だとしたら、相手はユダでなくても良かったでしょうし、そもそもタマルは姦淫していません。
 ユダもタマルも独身でしたし、血のつながりもありません。
 また、タマルは遊女に変装してもいないのです。「タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った」(38:14)、そして「ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った」(38:15)と記されており、タマルが遊女を装ったとは記されていません。
 
 タマルがユダに求めた『印章と紐、杖』については、もちろん嫁のタマルはその意味を知っています。それはイスラエルの王である証である紐のついた印章と、ヤコブ(イスラエル)がヨルダン川を渡った時に持っていた長子権の証しである“1本の杖”(創32:11)。
 どう考えても、このような重要なものを遊女に渡すことは考えられません。

 このユダとタマルに良く似た話が、聖書にもう一か所、あるのです。それはヨシュア記です。
 ヨシュア(イエシュア=イエスと同じ名)は、モーセの後継者で、出エジプトの後にイスラエルの民をカナンの地へと導いた人物です。
 ヨシュアはエリコの国を攻略するに当たり、2人の斥候(せっこう)を送り出します。2人は行って、ラハブという遊女の家に入ります。その時、エリコの王に「告げる者」があって、王はラハブに「お前の所に入りこんだ者を引き渡せ」と命じます。しかしラハブは2人を逃がし、「私はあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前で私に誓ってください」と言います。2人は彼女に言います。「もし我々のことを誰にも洩らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう」、「我々がここに攻め込むとき、我々をつり下ろしたこの窓に【この真っ赤な紐】を結び付けておきなさい」。ラハブは言葉通りに2人を送り出してから、【真っ赤な紐】を窓に結び付けました。
 この2人の斥候の名は、聖書に記されていません。しかし、後にラハブをサルモンが娶りました。そして、サルモンとラハブの子孫に、ダビデ王が生まれ、イエス様が生まれるのです。
 斥候がサルモンだとは、どこにも記されていません。しかし、ふつう男性が女性に示す「誠意と真実」とは何を意味するでしょうか。ラハブが斥候の言葉通りにして、後にサルモンがラハブと結婚したのであれば、斥候の1人がサルモンだったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
 サルモンとラハブの話、ユダとタマルの話、偶然でしょうか。そんなことは、聖書においてはあり得ません。

 ユダがタマルに「印章と紐と杖」を渡したのは、ユダとタマルが救世主の先祖となるべき夫婦だからであって、タマルが遊女だからではないのです。つまり、ユダはベールで覆っていた女がタマルであることを知っていたと考えるべきではないでしょうか。
 
 なお、ユダが持っていたヤコブの杖と紐のついた印章が、ヤコブから受け継いだ長子権の証しであることは言うまでもありません。ヤコブから誰に長子権が継承されたのか、聖書には正式に書かれてはいませんが、ユダに長子権を継承したことは明らかです。

 タマルはユダによって妊娠します。そして彼女は立ち上がってそこを去り、ベールをはずして、彼女のやもめの服を着ました。
 このことから、さらに何かに気付く人がいるかもしれません。イエス様を身ごもったマリアが、タマルと同じことをしたことを誰も完全には否定することができないはずです。



38:20
 ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが、その女は見つからなかった。友人が土地の人々に、「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。友人はユダのところに戻って来て言った。「女はみつかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」
 ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々がもの笑いの種になるから、とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」

 
ヘブライ語原典は「そしてユダは、あの女の手からあの保証の品を取るために、アドラム人の彼の友の手によって子山羊を送った。しかし彼は彼女を見つけなかった。そして彼(友)は、彼女がいた場所の人々に尋ねた。『道の側のエナイムの中(入口)にいた聖娼(神殿娼婦)の女はどこにいるのか』と。すると彼らは言った。『ここに神殿娼婦はいなかった』と言った。そこで彼はユダの所に戻り、『私は見つけることができなかった。その場所の人々は【ここに神殿娼婦はいなかった】と言った』とユダに言った。それでユダは言った。『彼女が彼女のために取るように。私たちが笑いものにならないように。見よ、私はこの子山羊を送った。しかし、あなたは彼女を見つけなかった(のだから)』です。

 
ユダは子山羊を、友人のアドラム人(羊の群れの毛を刈るために共にティムナの方へ上ったアドラム人の友人ヒラ)の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが、女は見つからなかった、と書かれています。
 なぜユダは自分で子山羊を送り届けようとせず、友人に行かせたのでしょうか。それは友人を「証人」にするためです。

 ヒラは女を見つけることはできませんでした。それを聞いたユダは「彼女が彼女のために取るように。私たちが笑いものにならないように。見よ、私はこの子山羊を送った。しかし、あなたは彼女を見つけなかった」と言います。『印章と紐、杖』を騙し取られた、と人々の笑いものにならないように、彼女にそれを与えようと言ったのです。
 アドラム人ヒラにとって、ユダの印章と紐と杖の重大性は分からなかったかも知れませんが、ヒラに分かったことは、エナイムの入り口でユダが床を共にした女が娼婦ではなかったこと、そして約束の子山羊を送ったけれど彼女を見つけることができなかったこと、そしてユダは約束を果たしたこと、です。ヒラはその証人となりました。
 つまりユダには「証人」が必要であり、ヒラをその「証人」にしたのです。ということは、最初からヒラと同行したのも、ヒラを証人にするためだったということになります。



38:24
 三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」 
 ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、この紐の付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」
 ユダは調べて言った。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子シェラに与えなかったからだ。」
 ユダは、再びタマルを知ることはなかった。

 
ヘブライ語原典では「そして以来約3カ月間の後のことであった。ユダは『あなたの嫁タマルが売春をした。その上、見よ、売春によって妊娠している』と告げられた。それでユダは言った。『彼女を引き出せ。そして彼女は焼き尽くされよ』と。彼女は引き出された。それで彼女は、彼女の義父の所に、【私は、これらが彼に属する人によって妊娠しています】と言った。そして彼女は言った。【どうか、この印章とこの紐とこの杖が誰のものか確かめて下さい】と。それでユダは認めて言った。『彼女は私よりも正しい。なぜなら私が、私の息子シェラに彼女を与えなかった、このゆえに』。そして彼は、彼女を知ることを再び繰り返さなかった。」です。

 
3ケ月後、ユダは「あなたの嫁タマルが売春をした。その上、見よ、売春によって妊娠している」と告げられます。それでユダは「彼女を引き出せ。そして彼女は焼き尽くされよ」と言います。
 タマルは義父ユダのところに引き出されました。嫁が姦淫したとき、それを裁定するのは義父だったので、タマルはユダの所に引き出されたのです。
 その時、タマルは言います。
「私は、これらが彼に属する人によって妊娠しています」、「どうか、この印章とこの紐とこの杖が誰のものか確かめて下さい」と。
 その印章と紐と杖が誰のものか、ユダの一族なら誰でも知っていました。つまり、タマルが関係を持った相手は自分であったと、ユダは認めたのです。タマルの相手がユダだったら、姦淫かどうか。姦淫ではありません。2人とも独身であり、血のつながりもありません。そして、ユダを責める者も、タマルを責める者も誰もいません。
 そしてユダは、もし責められることがあるとしたら、それは自分が3男のシェラをタマルに与えなかったからだ、と言います。ユダがタマルをシェラに与えなかった理由も、誰もが知っていました。長男も次男もタマルが嫁いで死んだのです。
 その上、シェラがタマルを娶って死んだら、跡継ぎがいなくなります。それはイスラエル12部族にとって、あってはならないことでした。
 そして表面上は、ユダは嫁とは知らずにタマルと交わったのであって、そのことについては証人(アドラム人の友人ヒラ)もいます。タマルには、シェラに嫁がせてもらえなかったので、相手がユダと知って、その種を宿した、それはユダの子孫を残すためだ、という正統な理由があります。
 つまり、誰もユダとタマルを責めることはできないのです。
 それでユダは認めて言ったのです。「彼女は私よりも正しい。なぜなら私が、私の息子シェラに彼女を与えなかった、このゆえに」と。

 そしてユダは、あの一度きり、タマルと交わることはありませんでした。あえて、そのことが記されているのは、ユダはタマルに欲情したのではなく、タマルもユダに欲情したのではなく、ただ子孫を残すためであったことを記しているのです。



38:27
 タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。
 「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」
 そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。

 
ヘブライ語原典では「彼女の出産の時になった。そして見よ、彼女の胎内に双子がいる。彼女が出産する時であった。彼が与えた手を助産婦が取った。そして『これが最初に出た』と言って、彼の手に深紅の寄り糸を結んだ。彼の手を戻した時に、見よ、彼の兄弟が出た。それで彼女は言った。『あなたはあなたのために突破口を開けるとは、何ということでしょう』と。そして彼の名をペレツと呼んだ。そしてその後、その手にあの深紅の寄り糸が(結ばれた)彼の兄弟が出た。それで彼の名をゼラハと呼んだ。」です。

 タマルの出産のとき、体内には双子がいました。エサウとヤコブの双子を宿したリベカの時と同じです。しかし、よく注意して見ると、エサウとヤコブの時とは異なっていることがあるのに気が付きます。
 一人の子が手を出した時、助産婦は「これが先に出た」と言って【真っ赤な糸】をその手に結びます。もうお分かりのことかと思いますが、この【真っ赤な糸】は長子権と王権の象徴です。
 しかし、その時、もう1人の子が先に出てきます。先に出てきた子はペレツ(出し抜き)と名付けられました。そして後から出た子はゼラ(真っ赤)と名付けられました。
 エサウ(赤)とヤコブ(出し抜き)の時は、エサウが先に出てきて兄となり、ヤコブが後に出てきて弟となりました。しかしタマルの時は、先に出てきたペレツが弟になり、後で出てきたゼラが長子となったのです。つまり、タマルの胎内、出産時に「元がえし」が成立しているのです。
 そうです。元がえしがもはや必要なくなった血統。神様が創造された本来の人の血統が、ここに成就したのです。この重要な血統が、この後、聖書から隠されていきます。いえ、重要な血統だからこそ聖書から隠されていくのです。
 そして、この血統の子孫にダビデ王が生まれ、イエス様が生まれるのです。




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