安息日の礼拝  創世記の真相

創世記49章




49:1-28
 ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。
「集まりなさい。わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい。 ヤコブの息子たちよ、集まって耳を型むえきょ。お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。
 ルベンよ、お前はわたしの長子 わたしの勢い、命の力の初穂。気位が高く、力も強い。お前は水のように奔放で 長子の誉れを失う。お前は父の寝台に上った。あのとき、わたしの寝台に上り それを汚した。
 シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し 思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく 憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け イスラエルの間に散らす。
 ユダよ、あなたの兄弟たちにたたえられる。あなたの手は敵の首を抑え 父の子たちはあなたを伏し拝む。ユダは獅子の子。わたしの子よ、あなたは獲物を取って上ってくる。彼は雄獅子のようにうずくまり 雌獅子のように身を伏せる。誰がこれを起こすことができようか。王笏はユダから離れず 統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。彼はぶどうの木に雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。着物は自分の衣をぶどう酒で 着物をぶどうの汁で洗う。彼の目はぶどう酒によって輝き 歯は乳によって白くなる。
 ゼブルンは海辺に住む。そこは舟の出入りする港となり その境はシドンに及ぶ。
 イサカルは骨太のろば 二つの革袋の間に身を伏せる。彼にはその土地が快く好ましい休息の場となった。彼はそこで背をかがめて荷を担い 苦役の奴隷に身を落とす。
 ダンは自分の民を裁く イスラエルのほかの部族のように。
ダンは、道端の蛇 小道のほとりに潜む蝮。馬のかかとをかむと乗り手はあおむけに落ちる。主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。
 ガドは略奪者に襲われる。しかし彼は、彼らのかかとを襲う。
 アシェルには豊かな食物があり 王の食卓に美味を供える。
 ナフタリは解き放たれた雌鹿 美しい子鹿を産む。
 ヨセフは実を結ぶ若木 泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は石垣を超えて伸びる。弓を射る者たちは彼に敵意を抱き 矢を放ち、追いかけてくる。しかし、彼の弓はたるむことなく 彼の腕と手は素早く動く。ヤコブの勇者の御手により それによって、イスラエルの石となり牧者となった。どうか、あなたの父の神があなたを助け 全能者によってあなたは祝福を受けるように。上は天の祝福 したは横たわる淵の祝福 乳房と母の胎の祝福をもって。あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり 永久の丘の賜物にまさる。これらの祝福がヨセフの頭の上にあり 兄弟たちから選ばれた者の頭にあるように。
 ベニヤミンはかみ裂く狼 朝には獲物に食らいつき 夕には奪ったものを分け合う。」
 これらはすべて、イスラエルの部族で、その数は十二である。これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである。


 ヘブライ語原典では「そしてヤコブは彼の息子たちを呼んで、言った。『集まれ、私はあなた方に話そう。日々の終わりにあなた方を呼ぶことを(あなた方に及ぶことを)。集まれ、ヤコブの息子たちよ、聞け、あなた方の父イスラエルに。
 ルベンよ、あなたは私の長子、私の力。そして私の勢力の初め。卓越した気高さ。その衝動の力は水のように卓越している。一番になるな(長子になるな)。なぜなら、あなたは父のベッドに上った。その時、私の寝床を汚したからだ。
 シメオンとレビ、彼らの剣は暴虐の器(道具)にする兄弟たちだ。私の魂よ、彼らの会議に入るな。私の名誉よ、彼らの集会に連なるな。なぜなら彼らは怒りで人を殺した。そして彼らは欲求で雄牛の筋を切ったからだ。彼らの怒りは呪われている。なぜなら彼らの激怒は激しく、過酷だからだ。私は彼らをヤコブの中で分ける。そして彼らをイスラエルの中にまき散らす。
 ユダよ、あなたの兄弟たちはあなたユダを称える。あなたの手はあなたに敵対するものたちの首に。あなたに、あなたの父の息子たちはひれ伏す。ユダはライオンの幼獣(若獅子)、私の息子よ、あなたは獅子のようにかがみ、伏せて餌食を獲得した。雌獅子ように彼を誰が起こすだろうか。王笏はユダから離れず、統治者の杖は彼の両足の間からシロが来るときまで離れることはない。諸国民は彼に従順で、彼は子ろばをぶどうの木に、彼の雌ろばの子を優良なぶどうの木につなぐ。彼の服をぶどう酒で、彼は着物をぶどうの実の血で洗う。ぶどう酒のために両目は赤く、歯は乳のために白い。
 ゼブルンは海の岸に住む。(そこは)船の岸に(港と)なる。そしてその境はシドンの側に及ぶ。
 イサカルは骨の強いろば。二つの羊の囲いの間にうずくまる。そして、そこは彼にとって良く、快い休息の場となる。しかし、彼の背を担うために傾け、苦役の奴隷になる。
 ダンは彼の民をイスラエルの一つの部族として裁く。ダンは道上の蛇となれ。小道の上の蝮。馬のかかとにかみつくもの。そしてそれに乗る者が後ろに落ちた。主よ、あなたの救いを私は期待する。
 ガドよ、略奪の一団が彼を略奪する。しかし彼はかかとを襲う。
 アシェルよ、彼の食物は肥えた。そして彼はおいしいものを王に与える。
 ナフタリは放たれた雌しか。美しい言葉を与える者。
 ヨセフは実り豊かな木の息子。泉の上に実り豊かな木のような息子。その枝が垣を超えてまたぐ。彼らは彼を苦しめた。そして彼らは射た。そして彼に持ち主たちは矢をけしかけた。しかし彼の弓は力強さの内にとどまる。そして彼の両手の腕はとびはねる。ヤコブの力強い両手から、そこからイスラエルの石となり飼う者(牧者)がある。あなたの父の神から、そして彼はあなたを助ける。そして全能者と共に、彼はあなたを祝福する、上では天の祝福、下は深淵でうずくまっている祝福、乳房と胎の祝福によって。あなたの父の祝福は、私を産んだ者たちの祝福も、永遠の丘の切望をも超えて強くなった。それらがヨセフの頭にあるように。そして彼の兄弟たちのナジル人の頭のいただきにあるように。
 ベニヤミンは狼。彼は朝に獲物を引き裂き食べる。そして夕には獲物を分ける。
 これらのすべてがイスラエルの12部族たち。そしてこれが、彼らの父が彼らに話し、祝福した言葉である。彼(イスラエル)は彼らをそれぞれにふさわしく祝福した」です。


 死期が近づいたヤコブは息子たちを呼び寄せ、話しました。新共同訳には「ヤコブの祝福」という小見出しがつけられていますが、原典にはそのような小見出しはなく、内容も祝福ではありません。
 新共同訳に『わたしは【後の日】にお前たちに起こることを語っておきたい』と訳されているヘブライ語の『日々の終わりに』(ベアハリート ハヤミーム)は、『メシアの時代』とも解釈します。つまりヤコブの死後、イエス様の時代に至るまでのイスラエルの12人の息子たちの歩みを預言している言葉なのです。
 小見出しをつけるとすれば、ヘブライ語原典で『そして聞け、あなた方の父イスラエルの神に(ヴェシムウー エル イスラエル アヴィヘム)』と記されていることからも、『12人の息子とその子孫たちへのメシアの時代までの預言』とすべきでしょう。

 まずルベンについてヤコブは言います。「ルベンよ、あなたは私の長子、私の力。そして私の勢力の初め。卓越した気高さ。その衝動の力は水のように卓越している。一番になるな(長子になるな)。なぜなら、あなたは父のベッドに上った。その時、私の寝床を汚したからだ」と。
 ルベンはヤコブとレアとの間に生まれた長男です。ルベンは、アブラハム・イサク・ヤコブの力と勢力を継承する長子として誕生しました。しかし、ルベンの衝動(欲求、自分の考え、感情)は水のように奔放で、湧き出る水を止めることができないようにその衝動のままに行動して、長子の権利を失うことになります。なぜならルベンは自らの衝動のままに父ヤコブの側女ビルハと床を共にし、父の寝床を汚したからです。
 このことは、後の『歴代誌』でも次のように記されています。「イスラエルの長男ルベンの子孫について。ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった、そのため彼は長男として登録されていない。」(歴代誌上5:1)

 続いてヤコブは、シメオンとレビについて言います。
「シメオンとレビ、お前たちは共に剣を暴虐の道具として使う兄弟だ。私の神様から与えられた魂とイスラエルの名誉は、彼らが計画する集会(相談、助言、秘密)に連なることはない。」と。
 シメオンとレビは、妹のディナがヒビ人シケムに辱められ、シケムがディナと結婚したいと申し出た際、神様が契約のしるしとして与えられた「割礼」を利用してシケムの一族の男たちをことごとく殺しました。し科も彼らは、怒りという感情のままに「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか」(創34:31)という正義”という名目で異邦人たちに報復し、多くの人々を殺しました。
 割礼について神様がアブラハムとの間に契約を結ばれたことを思い出してください。神様はアブラハムに次のように言われました。
「包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。あなたの家で生まれた奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。」(創17:11-13)
 これは神様がアブラハムと契約された際、たとえ異邦人であっても「割礼」をした者はアブラハムに属する者とみなされる、と約束された契約です。つまり「割礼」したシケムとその一族はアブラハムに属する者となったのであり、シメオンとレビは同胞を殺したことになるのです。それは赦されない、呪われるべき行為でした。
れは異邦人たちを、あたかも献げものの雄牛の足の筋を切るように殺す行為で、彼らは異邦人=獣と考えていることがわかります。
 しかも、彼らは12人の中で祭司という役目を継承する立場にありました。動物を怒りに任せて殺すようなことはあってはなりませんし、ましてや、人を怒りのままに殺す行為は、呪われるべき行為です。彼らの激情はあまりにも激しく、その怒りのままに過酷な行動に至るので、カナンの地に入っても彼らには継承すべき土地は与えられず、イスラエル12部族の中に離散させられます。
 加えて言うならば、レビの子孫はその後、レビ族ピネハスの行為によって呪いが解かれるのですが、シメオンの子孫はそうではありません。そのため出エジプトの際、モーセはシメオンとその子孫を祝福していません。シメオン族はユダ族の中に統合されてしまいます(ヨシュア記19章、士師記13章)。しかし、そのシメオン(シモン)さえ、イエス様は祝福され、イエス様の時代にシモンと名の付く人たちが活躍することになります。

 ヤコブは続いて、ユダについてこう言いました。「ユダよ、あなたの兄弟たちはあなたユダを称える。あなたの手はあなたに敵対するものたちの首に。あなたに、あなたの父の息子たちはひれ伏す。ユダはライオンの幼獣(若獅子)、私の息子よ、あなたは獅子のようにかがみ、伏せて餌食を獲得した。雌獅子ように彼を誰が起こすだろうか。王笏はユダから離れず、統治者の杖は彼の両足の間からシロが来るときまで離れることはない。諸国民は彼に従順で、彼は子ろばをぶどうの木に、彼の雌ろばの子を優良なぶどうの木につなぐ。彼の服をぶどう酒で、彼は着物をぶどうの実の血で洗う。ぶどう酒のために両目は赤く、歯は乳のために白い」と。
 まず、この記載でイエス様がいつ、どこに来られるかが予測できるのですが(ヘロデもこれによって予測して救世主を殺害しようとしたと考えられます)。ここでは詳しく触れません。
 ユダ族は、獅子に例えられました。ヤコブは「あなたにあなたの父の息子たちはひれ伏す」と言っています。ここで思い出すのはヨセフが見た夢のことです。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」(創37:9)
 兄弟たちは、この夢のことをヨセフが長子権を継承する者と考えましたが、そうではないのです。ヨセフはイスラエルと神様の約束を成就するために、神様がエジプトに父や兄たちよりも先に送られる一つの使命を有する者であり、その際に兄たちが彼にひれ伏したのです。
 しかしヤコブは、兄弟たちがひれ伏すのはユダに対してであり、イスラエルの長子権を継承したのはユダであることが、わかる人にわかるように言っているのです。 
 またヤコブは、王笏である杖がユダに渡されたことも明言しています。その杖とは、ヤコブが持っていた杖(ヨルダン川を渡り、戻って来た時の杖)以外になく、それは王笏となる杖なのです。そのことはヤコブがユダに長子権の祝福を与えたことを意味しています。
 ヤコブがユダに長子権の祝福を与えた場面は、聖書には記載されていません。なぜならば、そのことは神様によって隠されたからです。何に対して隠されたかというとサタンと、目が開かれていない人々に対してです。そして、隠されてはいても目が開かれた人々には理解される必要があります。それが王笏(杖)のことなのです。
「王笏はユダから離れず、統治者の杖は彼の両足の間から、シロが来るときまで離れることはない。」という言葉は、ユダとタマルとの間に生まれた子が代々、王権=長子権を継承することを示しており、タマルが正統なユダの妻であることを証明しています。キリスト教会ではタマルのことを正しく理解していませんが、聖書をよく読めばタマルの信仰は王とメシヤを生むに相応しいことがわかります。
 この王権はユダとタマルの長子ペレツからヘツロン、ラム、アミナダブ、ナフション、サルマ(サルモン)、サルマとラハブの子ボアズ、ボアズとルツの子オベド、エッサイ、ダビデと継承され、ダビデの末にイエス様が来られたのです。

 「シロが来る時まで」とは何を意味しているのでしょう。シロは主の箱が安置された場所で、主の箱は、主がそこにおられることを示すものです。つまりシロとは「主」を示すものなのです。

「諸国民は彼に従順で、彼は子ろばをぶどうの木に、彼の雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。服をぶどう酒で、彼の着物をぶどうの実の血で洗う。ぶどう酒のために両目は赤く、歯は乳のために白い。」とは、どういうことでしょう。メシヤは、ろば(ユダヤ人を象徴)をメシヤ(ぶどうの木)につなぐのです。ぶどうの木は、命の木の象徴でもあり、イスラエルで罪を贖う献げものの動物の血を、ぶどうの汁(ぶどう酒)に代える意味も含んでいます。これはイエス様が行った過越祭の夕食(最後の晩餐)でイエス様ご自身が語っておられます。「ぶどう酒のために両目は赤く」というのは、命の目が開いているという意味で、「歯は乳のために白い」というのは、神様の乳によって養われ、その語る言葉は白い(清い)という意味です。

 つづいてゼブルンについて、ヤコブは次のように言いました。「ゼブルンは海の岸に住む」と。ゼブルン族は出エジプトの後、ガリラヤ地方の南部を嗣業の地として割り当てられます。しかし、ゼブルン族はキテロンとナハラルのカナン人を追い払うことができませんでした。また後、交易によってティルスとの婚姻関係などで、イスラエルに異邦人を入れる危険性を示唆しているのです。
 ヤコブはイサカルについて言いました。「イサカルは骨の強いろば。2つの羊の囲いの間にうずくまる。そして、そこは彼にとって良く、快い休息の場となる。しかし、彼の背を担うために傾け、苦役の奴隷になる」と。
 イサカル族はガリラヤ南端からイズレエル平原の大部分を占める地に住み、シセラとの闘いに武勇をあらわします。彼らは骨の強いろばに例えられるほどでした。しかしヤコブが「2つの羊の囲いの間にうずくまる」と言ったように、ろばの背に置く2つの革袋が安定することのないように、常に決断できない、優柔不断な、2つの強国の間でその両方に兼ね仕える性分でした。それは、神様に頼りながら近隣の強国に頼るというような、どっちつかずの性分でもあります。
 イサカルにとっての嗣業の地は憩いの場なのですが不十分で、その目に好ましく映るカナンの山地より西の平野に移動し定住の地とするようになります。イサカルは目に映る物質的な豊かさを手に入れたかったのです。しかしその代償として、カナン先住民の奴隷となり、奴隷としての義務を負わされることになります。物質的な豊かさを手に入れる代わりに、奴隷となってしまう象徴と言えます。

 ダンについて、ヤコブはこのように言いました。「ダンは彼の民をイスラエルの一つの部族として裁く。ダンは道の上の蛇となれ。小道の上の蝮。馬のかかとにかみつくもの。そしてそれに乗る者が後ろに落ちた。主よ、あなたの救いを私は期待する」と。
 ヤコブはイスラエルの1部族となるダンの子孫から、蛇の遺伝子を強く継承する者が出ること、その蛇に象徴される者は人の命を殺める「蝮の子」であり、人が乗る馬のかかとにかみつき、その乗り手は後ろに落ちる、というのです。ヤコブは、主の救いを求めています。「主の救い」を、ヘブライ語で「イエシュア」といいます。ギリシャ語で「イエス」。ヤコブはここで、「主」の名を預言しているのです。
 ここで思い出すのは、創世記の記述です。
『お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く』(創3:15)と。
 アダムの助け手としてエバを創造された後、彼らは成長し、愛を育み子供を生み、地に満ち、天地を統治するよう計画されました。しかしエバは自分の欲情から蛇と交わります。そのことによって人は神の子としての遺伝子とサタン遺伝子をもつ存在となりました。この罪によって、神様は蛇(サタン)と女の間、そして蛇の子孫と女の子孫との間に敵意を置かれたのでした。

 もう一つ思い出すのは、イエス様が律法学者たちとファリサイ派の人々に言われた次の言葉です。『蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を雌脱がれることができようか。』(マタイ23:33)

 創世記で神様が言われた『女の子孫』とは誰の子孫を指しているのでしょうか? それはヤコブの言葉でわかるとおり、ヤコブから長子権を継承したユダの子孫です。
 ユダの子孫であるダビデ王の時代、統一したイスラエル王国を整備するにあたり、ソロモンがフラムのティルスと同盟したことは『列王記』と『歴代誌』に記載されています。ツロの王フラムの支配下にあったティルスやシドン(古代フェニキアの海港都市)は当時、最高の建築技術と卓越した彫刻、装飾技術をもっていました。ティルスのフラム王は、傑出した知識と技術をもつ石工の頭フラム(ヒラム・アビフ)と技術者をソロモンのもとに送り込み、神殿建設の最高責任者としたのでした。
 このフラム王の母親が、ダン族の出身なのです。ティルスの王についてはエゼキエル書26章〜28章、イザヤ書23章に記されているとおり、サタンと同一視されています。ソロモン神殿の造営以降、神殿ではティルスのサタン信仰、偶像崇拝がなされ、ティルスの血統を受け継ぐダン族の子孫たちは指導層についたと考えられます。
 イエス様が「蝮の子らよ」と言われたのは、一般的には人類はすべて蝮の子ら(サタン性を継承したもの)でもあるので、そう言われたのだと解釈されていますが、もしかしたらイエス様は、ダン族の子孫たちにそう言われたのかもしれません。
 
 次にヤコブはガドについて次のように言いました。『ガドよ、略奪の一団が彼を略奪する。しかし彼はかかとを襲う』と。ガドという名前は、ヘブライ語の略奪者(ゲシュド)と襲う(グド)の語呂合わせです。彼はカナンの地に入った時、カナンの東方に定住するようになりました。東方に住む強国である隣国と接する地にあるため襲われ、それに対抗する一族となりました。 
 アシェルについてヤコブは言いました。『アシェルよ、彼の食物は肥えた。そして彼はおいしいものを王に与える』と。
 アシェルは出エジプト後、モーセからガリラヤから西に向かって地中海に達し、南はカルメル山から北はツロとシドンに至る平地を与えられました。そのため豊かな収穫があり、王の食卓に備えることができたと考えられます。イエス様の時代には、アシェル族の女預言者アンナが、幼いイエス様を見て喜んだことが記されています(ルカ2:36)。

 ヤコブはナフタリについて『ナフタリは放たれた雌しか。美しい言葉を与える者』と言いました。
 ナフタリの名は士師記4:6-7に見ることができます。(『士師』とは他民族の侵略を受けたイスラエルの民を救うイスラエルの英雄たちのこと)。
女預言者デボラが士師としてイスラエルを裁くようになった時代のこと、イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、カナンの王ヤビンの手中にありました。デボラはナフタリ族のバラクを呼び寄せて、ナフタリ族とゼブルン族をタボル山に集結させ、カナンの王を、神様がイスラエルの人々の前で屈服させるようにされました。後にそのナフタリ族とゼブルン族の地が”ガリラヤ”と呼ばれるようになり、イエス様が少年期を過ごす地となり、ナフタリ族とゼブルン族の境に位置するカペナウムが、イエス様の活動の拠点となりました。そして、その地にいたイエス様の信徒たちは、ユダヤを支配していた偽ユダヤ人たちの支配から解き放たれた雌しかのようでした。

 次にヤコブは、ヨセフについてこういいました。「ヨセフは実り豊かな木の息子。泉の上に実り豊かな木のような息子。その枝が垣を超えてまたぐ。彼らは彼を苦しめた。そして彼らは射た。そして彼に持ち主たちは矢をけしかけた。しかし彼の弓は力強さの内にとどまる。そして彼の両手の腕はとびはねる。ヤコブの力強い両手から、そこからイスラエルの石となり飼う者(牧者)がある。あなたの父の神から、そして彼はあなたを助ける。そして全能者と共に、彼はあなたを祝福する、上では天の祝福、下は深淵でうずくまっている祝福、乳房と胎の祝福によって。あなたの父の祝福は、私を産んだ者たちの祝福も、永遠の丘の切望をも超えて強くなった。それらがヨセフの頭にあるように。そして彼の兄弟たちのナジル人の頭のいただきにあるように。」と。
 石垣を超えて伸びるヨセフの権力は、超えてはいけないところまで超えてしまいました。その結果、ファラオの子孫たちは、ヨセフの子孫たちに敵意をもって隷従させるようになりました。しかしヨセフの子孫たちは出エジプトを果たし、カナンの地に入ります。ヨセフの子エフライムの子孫から、神様によって選ばれたヌンの子ヨシュアが出て、民を導きます。ヨシュアのもとの名はホシェアで、モーセによってヨシュアと改名されたのです。ホシェアの意味は「救い」。イエス様の「イエス」はヘブライ語の「イェホシュア」のギリシャ読みです。

 ヤコブはベニヤミンについて『ベニヤミンは狼。彼は朝に獲物を引き裂き食べる。そして夕には獲物を分ける』と言いました。
 ベニヤミン族の子孫たちがしたことは士師記19-21章に記されています。
イスラエルに王がいなかった時代、1人のレビがユダのベツレヘムから側女を迎えました。彼は主の神殿に仕えるレビ人(祭司)でした。しかし側女は主人を裏切り、実家に戻っていました。そこで主人であるレビ人は彼女を迎えにベツレヘムにある側女の家に出向き、側女を連れ帰る途上のことでした。ベニヤミン族のギブアに滞在した時、ベニヤミン族のならず者たちがレビ人を出すよう、その男を知りたい、と言って家を囲みました。老人はレビ人の代わりに側女を彼らに差し出されたところ、ベニヤミン族たちは彼女を朝まで辱め、彼女は死んでしまいます。彼女の主人はその死体を12部位に分けてベニヤミン以外の12部族(ヨセフとベニヤミンの代わりにマナセとエフライムがいるので12部族)に送りつけます。それはベニヤミン族たちの残虐極まりない行為を表し、イスラエルの人々は「このことを心に留め、よく考えて語れ」と話し合いました。
 12部族は団結して制裁の戦いを挑み、ベニヤミン族も彼らに対抗しました。同族内の戦いになりましたが、主は「攻めあがれ、明日、わたしは彼らをあなたの手に渡す」と言われ、主はベニヤミンを撃たれ、ベニヤミン族は敗北しました。この戦闘以降、イスラエルの人々は自分たちの娘をベニヤミン族に嫁がせないことを決めました。
 この出来事の後、ベニヤミン族の男たちはシロで主の祭が行われる時、踊りに出てくる娘たちを、狼が獲物に飛びつくように捕らえることでしか子孫を継承することができなくなりました。



49:29-33
 ヤコブは息子たちに命じた。
「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをへと人エフロンの畑ににある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。それはカナン地方のマムレの前のマクベラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアも葬った。あの他派家とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」
 ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。


 ヘブライ語原典では「そして彼は彼らに命じ、そして言った。『私は私の民に集められる。私を私の先祖たちの所に、ヘト人エフロンの畑の中にある洞穴に葬りなさい。マクベラの畑の中にあるその洞穴の中に。(それは)マムレに面するカナンの地で、アブラハムがヘト人エフロンから畑を、墓の地所として買った。そこに彼らがアブラハムと彼の妻サラを葬った。そこに彼らがイサクと彼の妻リベカを葬った。そしてそこにレアを私は葬った。その畑と洞穴はヘトの息子たちから(買い取って)所有した。
 そしてヤコブは彼の息子たちに命じることを終えた。そして彼の両足をそのベッドに揃えた。そして息絶えた。そして彼の民に加えられた。

 イスラエルは12人の息子たちに命じて言いました。「私は間もなく死に、先祖たちの列に加えられることとなる。私の亡骸をヘト人エフロンの畑の中にある洞穴に葬りなさい。それはアブラハムが妻サラを葬るために、ヘト人エフロンから買った墓地だ。そこにはイサクとその妻リベカが葬られ、私は妻レアをそこに葬った」と。
 ヤコブは息子たちに命じ終えると、両足を揃えて横たわり、息絶えました。ヤコブは彼の先祖の列に加えられました。




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