安息日の礼拝  創世記の真相

創世記7章




 
6章で神様はすべて命の霊を持つ、すべて肉なるものを洪水で滅ぼすことを定められました。が、霊的な存在はそこに含まれていません。蛇と共に堕落して、人間の娘たちによって生ませたネフィリムは身体は滅びますが、霊が滅ばずに残ります。実はその彼らの霊こそが「悪霊」なのです。エノク書にこう書かれています。

 「さて、霊と肉から生まれたネフィリムたちだが、彼らは地上の悪霊と呼ばれ地上に住むことが定められている。悪霊は彼らの体から出てきた。彼らが人間から生まれ、しかも聖なる見張りの者に本来の源をもっているからである。彼らは地上の悪い霊となり、悪霊という名で呼ばれる。天の霊たちは天に住まいが与えられるが、地上で生まれた地上の霊は地上に住む。ネフィリムの霊は地上で災いを起こし、抑圧と破壊と攻撃と戦いによって地上を打ち壊し、騒がす。彼らは食物をとらないが、にもかかわらず飢え乾いており、攻撃を仕掛ける。これらの悪霊どもは人間の子らと、女に立ち向かう。彼らが女から出てきたからである。」

 エノク書には、堕落した御使いたちが娶った人間の娘たちに知識を教え、その女たちが男たちに知識を教え、それによって地上に多くの悪行がなされたとも書かれています。ただし、御使いたちには、すべての秘密が示されていたわけではなく、その知識はつまらない知識でしかないとも書かれています。ですから人間は神様のもとに立ち帰り、神様からすべての秘密が示されるに相応しい者となり、その知識・知恵によって堕落した御使いたちに勝利する必要があるのです。
 
神様がなぜ悪霊たちも洪水のときに滅ぼさなかったのか、と疑問に思うかもしれません。しかし、それをしたら、蛇によって堕落した人間が、その立場を逆転することは不可能になり、人は堕落する前の本来の人には戻れなくなってしまいます。
 
つまりノアたちは洪水後、一掃された新しい世界で悪霊の影響に屈しないで、神様からすべての秘密が示されるに相応しい者となり、その知識・知恵によって堕落した御使いたちに勝利する必要があったということです。そうすることによって、蛇によって堕落したエバとアダムの立場を逆転することになり、そこで初めて堕落前の人間に立ち帰ることができ、神様の創造本来の世界を取り戻すことができるのです。ノアの子孫たちがすべて神様に従って生きるようになれば、悪霊が働く余地はなくなります。そうなれば悪霊は悪霊として存在することができず、人間に従うほかはなくなるのです。つまり、それによって彼らも本来の御使いに立ち帰るか、さもなければ滅ぶしかなくなります。
 では7章の洪水の場面を見てみましょう。



7:1-5
 主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世界の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」
 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。

 
ヘブライ語原典では「主はノアに言った。『お前とお前のすべての家族は箱舟に入れ。なぜならお前を、わたしはこの世代の中で、わたしの面前で義しいと見たからだ。すべての清い家畜から、お前はお前のために七つがいずつ取れ。清くない家畜からは、つがいの雄と雌を二つ。空の鳥からもまた、七つがいずつ。全地の面の上に子孫を生かしておくために。なぜなら、わたしは七日の日々の後に、四十日と四十夜、地の上に降らせ続ける。そして、わたしが造ったすべての被造物を地上の面から消す。』 ノアは、すべて主が彼に命じられたことを行った」です。

 神様は7日の日々の後、40日と40夜、雨を降らせ続けると言われました。7というのは、神様の天地創造の7日目が安息日として聖別されたことからもわかるように「聖」を意味する数です。そして40という数は、後にアブラハムの子孫たちが400年の間、奴隷として仕えたり、出エジプトから40年で約束の地に入ったり、イエス様が40日間、荒れ野で断食して悪魔を退けたりしていることからわかるように、悪を浄化する期間を示す数、また悪を浄化するために受けなければならない試練の持続の期間を示します。
 7の数は洪水の間も、洪水の水が引いて地が乾くまでの間も、何度も登場する数で、その都度「聖」によって刻まれています。つまりそれは、そこで起きている事が神様によって、その時々を聖められて刻まれていることを示しているのです。
 さらに、神様がノアに命じてから7日の後に洪水が始まることにも意味があります。この7日の間に、ノアの家族と動物たちが箱舟に入れられるからです。つまり、それは天地創造の6日間と7日目の安息日をなぞっているのです。新しい再創造を始めるための洪水だということが、このことから分かります。
 天地創造と同じ6日間と7日目の安息日の後、堕落した御使いと人間と動物たちによって悪に汚された全地を、40日40夜の洪水によって一掃して、清めるのです。
 神様は、ノアとその家族、そしてその子孫たちが洪水後、繁栄し続けることができるよう、清い家畜たちを7つがいずつ箱舟に入れることを命じられました。
 「清い動物」と「清くない動物」については、申命記14章やレビ記11章に記されていますが、簡単に言うと「清い動物」とは人が食べてもよい動物のことで、「清くない動物」とは人が食べてはいけない動物のことです。
 ユダヤ人は、律法を頑なにとらえて、人が「清くない動物」を食べると汚れると考えました。イエス様は、そのような律法のとらえ方は間違いで、清くないものを食べても人が汚れることはない、と教えられました。このことからキリスト教会では、何を食べてもいいと考え、律法で「清くない」とされている豚や甲殻類を食べるようになりました。
 しかし、イエス様は「清くない動物」はないとは言っておられません。「清くない動物」を食べても人が汚れることはない、と言われたのです。ですから、イエス様は「清い動物」と「清くない動物」については肯定しているのです。
 律法に規定されている「清くない動物」には、毒があるものや、人が食べると病気になるもの、伝染病を介するもの、豚のように悪霊がとりつくもの(マタイ福音書8章、ルカ福音書8章)か、「清い動物」の餌となるものがほとんどです。人が「清くない動物」を食べても、汚れることはありませんが、死んでしまったり、病気になったり、悪霊の影響を受けたり、あるいはまた「清い動物」の餌を人が食べてしまうことによって、「清い動物」の餌が失われてしまい、その結果、人が食べるものが無くなってしまうのです。
 神様がノアに、箱舟に「清くない動物」を1つがいずつ入れるよう言われた理由は、それらの動物はノアたちの食糧にはなりませんが、ノアと共に箱舟に入った「清い動物」にとっての食糧になるために必要であり、また洪水後に、天地万物の生態系を保つために必要だったからなのです。
 


7:6-9
 ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。

 
ヘブライ語原典では「ノアが600歳の時、洪水があり、地の上に水があった(=地上は洪水によって水に覆われた)。ノアは彼の妻と、彼の息子たちと、息子たちの妻たちと共に、洪水の水が来る前に箱舟に入った。清い家畜と清くない家畜の中から、また鳥と地の上を這っているすべてのものたちの中から、2つがいずつ、箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じたとおりに雄と雌であった」です。
 
 
エノクの子メトシェラが死んだ年、すなわちノアが600歳になった年に、神様があらかじめエノクに教えていたとおり、洪水が起こりました。
 ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入りました。人間の中で箱舟に入ったのは彼らだけでした。神様が、メトシェラが生まれた年から969年間、人々が立ち帰るのを待っておられたにもかかわらず、ノアとその妻子と嫁たちのほかは、誰も箱舟に入りませんでした。それは、誰も神様に立ち帰ろうとしなかったということです。
 動物たちは種類に従って雄と雌の二つずつ、自ら進んで箱舟に来ました。



7:10-11
 七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。

 
ヘブライ語原典では「そして七日間があって、地の上に洪水の水があった。ノアの生涯の六百年の歳の、第二の月の十七日、その月のその日に、大きな深淵の水源のすべてが裂けた。そして、天の天窓が開かれた。」です。

 
「第2の月の17日、その月のその日に」とあることから、この日付が重要な意味を持っていることが分かります。その日は、第1の月の1日から数えて、40日+7日目でした。このことは、よく覚えておく必要があります。
 聖書の中で、「第2の月の17日」という日は、この洪水のときのような重要な日が出てきません。にもかかわらず「その月のその日に」とあるのは、このときの洪水のように、あらゆる人々や動物たちが滅ぶような一大事が再度、起こるときのことを示している可能性があります。
 後のモーセの出エジプト以降、主なる神に導かれた民たちは第1の月に過越祭を行うようになります。出エジプトの際、過越をしなかった者たちは災いを過越すことができなかったことにも注目する必要があるでしょう。出エジプトする民たちは、過越に続いて除酵祭を行い、さらに7週(49日)の後に七週祭(五旬祭)を行います。この期間は非常に重要だということです。
 ちなみにイエス様が誕生されたのが第七の月の仮庵祭のときです。「過越祭・除酵祭」「七週祭(五旬祭)」「仮庵祭」は神様が定めた三大祭礼なのですが、この三大祭礼は単なる祭礼ではないのです。真の意味での過越祭を行わなければ災いを過ぎ越すことが出来ませんし、神様によって自らが世から救い出されることがありません。また、真の意味での「七週祭(五旬祭)」を行わなければ聖霊が臨むことがありません。そして、真の意味での「仮庵祭」を行わなかった人はイエス様の到来に立ちあうことが出来なかったのです。
 このことは、まもなく来る「終わりの日」とも関連しているはずです。真の意味での過越しをしなければ「終わりの日」の災いを過ぎ越すことも神様によって救い出されることも叶わず、真の意味での「七週祭(五旬祭)」を行わなければ聖霊が臨んで導かれることもなく、真の意味での「仮庵祭」を行わなければ主の再臨に立ちあうことはできないでしょう。
 神様が三大祭礼を行うことを命じておられるのは、単なる儀礼を行わせるためではありません。それが真に、神様のご計画と救いに直結しているからなのです。もちろん、形だけ行っても、何も気付くことはできませんし、災いから逃れることもできませんし、主の再臨に立ちあうこともできません。
 エルサレムで今、三大祭礼を行おうにも行うことができません。また、そこで今、行ったとしても意味はありません。イエス様を十字架に掛けたときから、エルサレムは棄てられているからです。それを行う場所は「神様が定められたところ」でなければならない、と主によって命じており、律法に規定されています。

 さて「大いなる深淵の源」については、創世記1:2の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」というところで説明しましたが、「深淵」はヘブライ語の「テホム」で「原始の生命の塵の海のような状態」をいいます。創造の初め、神様はその原始の生命の塵の海のようなものの面を、まるで鷲が雛の上を飛び回るように動いておられたことから、深淵の源は天地の生態系、生命体の設計図、生命の根源を司るものの源泉ともいえるものです。
 その深淵の水源のすべてが裂けたとは、どういうことでしょうか。同様の表現が、新約聖書の黙示録9章1〜2に出てきます。

「この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。」

 これは「世の終わりのとき」に起きる災いの一部で、イエス様が「世の終わり」について語られたマタイ福音書24章の内容を、更に詳しくヨハネが幻に見た情景が記されている箇所の一部です。マタイ福音書24章でイエス様は、ノアの洪水の時のような裁きが「世の終わるとき」にやってきて、その時にはノアの洪水のとき以上のこと(世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難)が起こると言われました。
 ノアのときは、肉なるものが一掃されるほどの大洪水でした。つまり、「大きな深淵の水源のすべてが裂けた。」というのは、神様による裁きを示すものなのです。悪を一掃するための裁きを執行するために、大きな深淵の水源のすべてが裂け、天の天窓が開かれたのです。
 「天の天窓」とは、いわば天の水門です。閉じられていた「大きな深淵の水源」のすべてが裂け、さらに「天の天窓」という水門が開かれて、地上に水が溢れ出すことになったのです。



7:12-16
 雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。彼らとともにそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、命の霊を持つ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主はノアの後ろで戸を閉ざされた。

 ヘブライ語原典では「そして地の上に、40日と40夜、その雨があった。ちょうどその日に、ノアは、ノアの息子たちであるセムとハムとヤフェトと、ノアの妻、そして息子たちの3人の妻たちと共に箱舟に入った。彼らとすべての生き物は、すべての家畜がその種類に従って、地の上を這っているすべての這うものがその種類に従って、すべての鳥がその種類に従って、すべての翼あるもの、すべての小鳥がその種類に従って、すべて肉の中に命の霊があるものは、2つずつノアに向かって箱舟に来た。そして来るものたちは、神が彼に命じたとおりに入った。主は彼のために閉じた」です。

 
これを読みますとノアと家族たちは、ぎりぎりの時まで箱舟の中に入らずに外にいたことがわかります。2つずつ雄と雌の動物たちはすでに来ていたのですから、もっと早くに箱舟の中に入れて戸を閉じておくこともできたはずです。しかしノアたちは箱舟の中には入らず、ぎりぎりまで戸を閉じていませんでした。
 どうしてでしょうか。ノアは、神様が969年の間、立ち帰る人を待ち続けたことを知っていました。ノアはぎりぎりまで待っていたのです。雨が降り始めたことによって洪水が本当に起こることに気付いて、この最後の最後に神様に立ち帰って、箱舟に来る人がいるかも知れないと。ノアは自分の身の危険を顧みず、箱舟の外で待っていたのです。にもかかわらず、誰一人として箱舟に来ませんでした。ノアと家族たちは箱舟に入って、家族の中でも一番最後にノアが入ったのです。主は、彼(ノア)のために箱舟の戸を閉じられました。閉じなければノアの身に危険が及ぶからです。なかなか戸を閉じようとしなかったノアの代わりに、主がノアのために閉じられたのです。



7:17-24
 洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面をただよった。水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。水は勢いをを増して更にその上、十五アンマに達し、山々を覆った。地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

 
ヘブライ語原典は「そして洪水は40日、地の上にあった。そして水が増え、その箱舟を持ち上げた。そしてそれは地の上から上がった。水が強くなり、地の上に非常に増した。そして箱舟は水の面の上に進んだ。そして水が非常に非常に地の上に強くなった。そしてすべての天の下にある、すべての高い山々が覆われた。強くなった水が更にその上に15アンマとなり、山々が覆われた。そして、鳥の中で、家畜の中で、生き物の中で、地の上に群がっているすべての群がるものの中で、地の上を這っているすべての肉が息絶えた。乾いた地にある、彼の鼻の息の中に命の霊の息吹があるすべての人は、死んだ。主は、地の面の上にあった被造物のすべてを消し去った。人から、家畜まで、這うものまで、天の鳥まで。こうして彼らは地から消され、ノアと、彼と共に箱舟に入ったものだけが残った。水は、地の上に100と50日、強くなった。」

 洪水は40日間、地上を覆い肉なるものはことごとく死に絶えました。そして、ノアと、彼と共に箱舟に入ったものだけが生き残りました。この40日を含めた150日間、地上に水がありました。約5カ月間です。

 以上が7章に記されている内容ですが、新約聖書の「ペトロの手紙U」に興味深いことが書かれています。

「天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、地の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(ペトロU3:5-13)

 これを読んで、ペトロが「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」と言っているのは、ただ単純に裁きの日が早いか遅いかを譬えるためだけに言っているように聞こえるかもしれませんが、そうでしょうか。ペトロは明らかに単なる譬えでこれを言っているのではありません。それは「主のもとでは」と言っていることからもわかります。イエス様の譬えがそうであったように、これは単なる人間的なレベルの譬え話ではありません。
 ペトロは、次に来る火の裁きの「とき」がいつなのかについて語るにあたり、前のノアの時の水の裁きを引き合いに出しています。その上で「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」と言っているのです。このように言われると、聞いている人の中で聖書に精通している人は思いだすはずなのです。つまりぺトロは、目が開いている人、耳ある人に向けて話しているのです。
 ノアの洪水のとき、神様は7日の日々の後に、40日と40夜の雨を降らせ続けました。この40日40夜で、あらゆる生き物が滅んだのです。ペトロは次に来る「火の裁き」も、ノアの洪水のときと同様だと教えているのではないでしょうか。つまり、7日というのは「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう」、つまり7000年のことだと、ペトロは教えているのではないでしょうか。アダムから7000年後に、現在の天と地は火で滅ぼされる、ペトロはそのことに気付かせようとしているのではないでしょうか。
 では、アダムから7000年後は、いつなのでしょうか。
 ノアの洪水があった時期については諸説ありますが、アダムの系図を辿ると、アダムから1656年目に洪水が来ています。アダムの時から7000年目に「火の裁き」=「世の終わり」が来るとするならば、7000−1656=洪水から5344年後ということになります。
 諸説あるノアの洪水の時期について、最近、2つの説が浮かび上がって来ています。1つは、タイタニック号を発見した海洋探検者ロバート・バラード氏の説で、米国ABCニュースの取材に答えたものです。バラード氏たちのチームは黒海でノアの大洪水の証拠となると考えられる古代の海岸線を発見、海岸線に沿って見つかる貝を放射性炭素での年代測定を用い、洪水は紀元前5000年前頃に起きたとしました。
 これとは別に、聖書暦を精査しているグループは、洪水の時期を紀元前4990年だと算出しています。
 洪水が紀元前4990年だとすると、7000年から4990年を差し引いた年、紀元後2010年(実際には2011年)が「火の裁き」の始まりの年であり、それが恐らく40年続き、滅ぶべきものはすべて滅ぶとペトロは示唆している可能性があるのではないでしょうか。洪水が紀元前5000年だとすると、7000年−5000年=2000年となり、そこから40年が「火の裁き」ということになります。
 この「火の裁き」の年代算出は、万有引力の発見者であるアイザック・ニュートンが算出した時期と、ほぼ一致しています。ニュートンは聖書のヨハネ黙示録とダニエル書からその時期を算出しています。ヨハネ黙示録には、獣が活動する期間が42カ月(1260日)であると記されています。ダニエル書には、3年半(月にすると42カ月で、日に換算すると1260日)と記されています。これをペトロの「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう」にあてはめると、1260年になります。
 ニュートンは、西暦800年を起算の年として、そこから1260年後の2060年を反キリストの最期としました。それが登場するのは40年の期間の中だとすれば、2020年〜2060年となります。ヨハネ黙示録では反キリストが登場するのは「火の裁き」のたけなわの時ですから、「終わりのとき」は、それよりも前に始まっていることになります。
 ニュートンの説が正しいと言っているのではありません。ただ、その時を知ろうとした人はこれまでも少なくありませんでした。ニュートンはイギリスの哲学者・数学者・神学者で、聖書やあらゆる文献に精通していました。勿論、周知の通り科学の分野でも多大なる貢献をもたらした人物で、ケンブリッジ大学の教授でもありました。生涯を通して熱心なキリスト教徒でもありました。
 ニュートンはキリスト教研究の中でカトリックを激しく攻撃しています。ニュートンが記した「ヨハネの黙示録解釈」では神様に逆らう側である「大淫婦バビロン」を世俗に堕落したローマ教皇だと断罪しています。またアタナシウスらカトリックの正当派教父を批判し、三位一体説はヒエロニムスによる改ざんだと主張し、事実上否定しています。三位一体を否定したためにローマ教会から異端と断罪され、公職から排除されたアリウス派やネストリウス派をニュートンは支持している立場です。このネストリウス派の系譜が、後に中国で大流行した景教であり、弘法大師空海が唐に渡った際に最初に師事したアダム(景浄)はネストリウス派の宣教師でした。密教を学びに唐に渡ったはずの空海は、なぜかすぐに密教の門を叩こうとせず、かなり長い間、アダムのもとで学んでいます。当時、ネストリウス派は宣教のために『大日経』を参考として教義を中国語化し、自ら「光輝く大日の教え」すなわち「景教」と称して宣教していました。
 空海研究、真言密教研究の分野では、空海の思想に真言密教と東方キリスト教の影響も指摘されています。仏教の研究では、そもそも釈迦以来の小乗仏教が大乗仏教へと転じたきっかけに、キリスト教の影響を指摘する研究もあります。12弟子の1人であるトマスはインドに福音を述べ伝え、トマスの教えは広まったとされていますから、当時の仏教がトマスの影響を受けたことも考えられます。また日本へのキリスト教伝来は、フランシスコ・ザビエルによってもたらされる以前に、景教の教えがすでにもたらされていたという説もあります(聖徳太子は実在人物ではなくキリスト教の影響を受けて創り上げられた架空の人物だとする学者もいます)。
 ちなみにニュートンが1260年の起算とした西暦800年について、ニュートンはあらゆる起算となりうる年の中で、この年にローマ教会が地上の権力者らと手を組み、三位一体の教義を取り入れて偶像崇拝するようになった堕落しきった法王の主権が成立したことによる、としています。正確には、この「三位一体」が確立したのは西暦787年の第2ニカイヤ公会議です。この第2ニカイヤ公会議は東ローマ皇帝レオ4世の皇太后イレーネによって召集され、崇拝の対象として偶像を認め、偶像に灯明を献じ、香を焚くことが認められることになりました。この会議は全教会会議の最後の総会議でした。この決定により全教会に偶像崇拝が復興し、現在まで続いています。教会の権威を高めるために「聖餐式(せいさんしき)」が考案され、聖別されたパンとぶどう酒がキリストの身体と血になるという「化体説(けたいせつ)」もこの時から新たに始まったものです。




Copyright (C) 2014 A Biblical seal is loosened Japan . All Rights Reserved.